未 来 日 記
弓 削 裕 之

 登下校にかかわる課題は多い。1年生が自分の問題として考えるためには、問題を子どもたちの生活に下ろす手立てが必要と感じた。
 1年生は継続して日記の学習に取り組んでいる。そこで、「自分が正しく安全な登下校ができたある日」を想定させ、「未来日記」を書かせた。「まだ起きていないことを書くんですか!」と子どもたちは驚いた様子だった。「正しいことを言わなければ」という雰囲気は消え、生き生きとした空気が広がった。

 わたしは、いつもおばあさんがしんどそうに立っているけれど、へいきそうなかおをしてぜんぜんせきをゆずりませんでした。だけどきょうは、ちゃんとせきをおばあさんにゆずりました。ちかくにおばあさんがすわっているとき、わたしんはかばんをせきのよこにおいてしまいました。だけど、きょうは、ちゃんとじぶんのひざにおいています。

 ある日、いつもはおともだちとバスの中でさわいでしまうので、ほかの人にめいわくをかけてしまうのですが、この日は、おともだちもわたしもシーンとしていて、ねているおじいさんもゆっくりスヤスヤとねていました。バスを下りていつもはれつでならんでおしゃべりをしてしまうのですが、この日はなにもしゃべらずあるきました。まるでゆめのようでした。

 ある日、わたしは、いつもおともだちといっしょにバスに入っているのに、きょうだけはさきに一人でのりました。そしたらおともだちがいました。しゃべりたかったけれどしゃべらないことにしました。そのりゆうは、しゃべるともっと大きいこえになってしまうからでした。わたしがまえのほうへいくと、おともだちが「おはようございます。」といったので、わたしも「おはようございます。」とついついいってしまいました。でも「おはようございます。」だけは、いいかなとおもいました。

 ぼくは、人とおしゃべりをすることがありますが、ぜったいにしゃべらないようにちかいました。それでほんとうにできるようになったのです。ぼくがしずかになるとみんなもしゃべらなくなりました。ぼくもなんでだろうとわからなかったけれど、あそんだからしずかにできなかったんだ、あそんでいてうるさくなったんだとおもいました。

 「いま」を生きている子どもたちにとって、過去の間違いを振り返ることは前向きではない。課題が多い今こそ、未来を見つめることが大切だ。
(京都女子大学附属小)