放送原稿を書く2 〜幸村の娘が彦根に〜
中 嶋 芳 弘

 退職の年を迎え、小学校の職場を去ることになった。といっても今年から市の教育委員会の生涯学習課に担当の移る「放課後児童クラブ(河P小学校)」の指導員として午後の時間を過ごすことになり、子どもたちとの縁はつながることになった。
 ともあれ、午前中は、ひょんな事から始めることになった、ローカルFM局での番組の取材や原稿執筆に当てることになりそうである。

 「彦根地名しりとり」は、4月から毎週火曜日に4回放送されることになった。現在は、その第52回「笹尾町」の取材を進めている。まず、書籍をあたり、ネットサーフィンで調べ、地名由来、自然環境、歴史、行事、人物等、さまざ まな情報を集める。
 「笹尾町」は、鳥居本町からの山地に入った霊山山麓の集落である。昔は多くの人々が行き交ったようであるが、2010年(平成22)現在では、世帯としての登録がわずか9軒になっている。

 これといって興味を引く情報がないと思いながら、書籍で気にかかった言葉を折り込みながら検索を繰り返していると見つかってくる。
o地名の由来は「昔、笹尾寺と称する古刹があったのにちなむ」
o「臨済宗妙心寺派少林寺」という無住の寺があり、平安時代の作で国指定重要文化財である「本尊木造観音菩薩像」がある。
o「真田幸村の娘は彦根藩士に嫁いでいた!」その墓が「少林寺」にある。
o歴代住職の墓が並ぶ場所に、幸村の娘「九品院殿智海妙恵大姉」の墓がある。
o「少林寺」は「江国寺」の末寺。「江国寺」の過去帳には4代目、青木五郎兵衛が彦根元祖と記載。妻であった幸村の娘は、1620年(元和6)4月18日、彦根で亡くなっている。
o家康は、武田の家臣74名を直政の家臣とし、武田の軍法や武田家飯富虎昌(おぶ とらまさ)隊の「赤備え」を継承するように命じた。

 いよいよ執筆である。ラジオの場合は、映像がなく、リスナーは現場の様子を見ていないので、具体的でていねいな説明が必要である。そのためには、記述前にできる限り、現地を確認しておくことも必要になる。車を走らせ、何について伝えようとしているのかを考えながら現地を歩き、その場所の位置や様子を自分のものにしていく。
 ボランティアのこんな取り組みの中から、子どもたちに伝えられる話も創作していけるかもしれない。退職教員の夢は広がっていく。
(彦根市立河瀬小)