巻頭言
ともに歩んだ日々
水 野 典 子

 「海の命」の授業を終えて,ほっとした気持ちと共に充実感を感じています。

 初めて教師になって、三年の説明文「深海にすむ魚」の研究授業をしました。学年の先生に助けていただきながら、魚の様子を読みとった後、拡大機を使って深海魚を写したのを覚えています。それ以来、国語の授業の面白さと難しさに魅力を感じ、研究をしてきました。管理職となり、授業をする機会がなくなり寂しい思いをしていました。授業を見るたびに、「こんなふうにやったらおもしろいだろうな」なんて思っていました。

 今年の一月、吉永先生に「わらぐつの中の神様」の授業と講演をお願いしたところ、快く引き受けてくださいました。初めて会う子どもたちに、すっと溶け込み、温かく、柔らかく授業される姿を見せていただき、私も教師生活の最後に授業をしたいと思いました。

 子どもたちがどんな読みをするのかが分からない中で授業をすることがどんなにたいへんなことかが分かりました。でも、授業を進めるうちに、子どもたちの目が輝いてくるのが分かってくると、授業をするのが楽しくなりました。授業後の感想を読み、板書を考え、発問に悩み、子どもたちと一緒に考え合っていると、これが教師だなとわくわくしていました。決して満足のいく授業ではなかったのですが、子どもたちの思いもよらない意見にあたふたとしながら、「そうか、そうも読めるよな」と自分の一方的な読みを反省し、柔軟に解釈することが大切だと感じました。

 小学校生活を締めくくるこの大切な時期に、しかも、国語の最後の単元である「海の命」を校長にさせてくれた六年の先生方に感謝しています。授業の後、「板書をすっきりとさせた方がいい」「あの子の発言は、こういう意味ではなかったか」「ここの解釈は…」などと話し合うのがとっても楽しかったです。子どもたちも興味深そうに聞いていて、「先生たちも勉強するんや」とつぶやいていました。もちろん職員室でも話をしていました。そこへ、他の先生方も加わって、国語の授業や子どもたちの話になっていくこともありました。職員室でこういう話ができることが素晴らしいことだと思います。

 あとわずかで教師生活も終わろうとしていますが、たくさんの先生方、子どもたち、保護者の方々との出会いが、私の宝物です。
(鈴鹿市立鈴西小学校長)