巻頭言
何を書くか
秋 庭 裕

 念仏は 
 苦悩を避けるのではなく
 乗り越える力である

 寺院の門前にはたいてい掲示板がある。ガラス戸付きの立派なものもあれば、軒下につり下げられただけのものもある。そこには、法要の予定とともに、仏典から引かれたような、ありがたい言葉が達筆で書いてある。「伝道掲示板」と呼ばれるゆえんである。仏教に造詣の深い人には味わい深い言葉であろうが、私のように浅学の徒には難しい。

 さて、当寺にも伝道掲示板がある。小さな屋根の付いた小黒板が道路際に立っている。先代の住職は、そこに「法語」を書いていたが、私は知らないので同じようには書けない。そこで、自作の言葉を書いた。オリジナルというより、どこかで目にしたようなものである。ところが、月に一回といえども、すぐに底をついてしまった。
 ある時、黒板の字の濁点や半濁点、句読点だけが消してあった。(黒板にチョークで書いているので、こすれば消える)子どものいたずらだが、読んでから消したことがうかがえる。そうであるなら、小学生にも読んでわかるような言葉を書くことにしようと思ったのである。
 それからは、詩や俳句、名言集などから、「子どもにもわかる」ものを探して、書いている。

 あなたに めぐりあえて
 ほんとうによかった
 ひとりでもいい
 こころから
 そういってくれる
 ひとがあれば (相田みつを)

 檀家へ参った時に、
「ええことが書いてあるけど、なかなかそうはできませんわ。」
などと話題になったり、近所の小学生の保護者から、
「黒板に、こんなことが書いてあったでと、娘が言ってました。」
という話を聞くこともある。
 わずか数十字の言葉だが、読んでくれている人がいるということは、張り合いもあるが重荷にもなる。月末には、いつも何を書こうかと悩んでいる。

 世の中は、
 まあるくまあるく生きていこう
 とげとげしたり、
 意固地になったりすると
 どこに行っても壁にぶつかる
 丸みのある、
 やわらかい人になろう (「小さなしあわせに気づく言葉『菜根譚』」PHP文庫)
(唯念寺住職)