巻頭言
風に立つライオン
大 塚 冨 章

 アフリカに住んでの感動を分かち合いたいと「詩」は続きます。
 ビクトリア湖の朝焼け/百万羽のフラミンゴが一斉に翔び発つ時暗くなる空/キリマンジャロの白い雲/何よりも僕の患者の瞳の白さ
 さだまさしさんの声がスピーカーから流れています。その歌を聴いて多くの若者が医師をこころざしたといいます。アフリカの日本人医師から日本に住むかつての恋人への手紙という形で曲がすすみこのフレーズが。♪やはり僕たちの国は残念だけれど何か大切な処で道を間違えたようですね♪

 戦後まもなくの頃、どの家庭も経済的に豊かでなかったけれど、家族みんなが集い夕食をとり、娯楽は少なかったけれどラジオの前でゆったりとした時間を過ごしていました。1960年代の高度経済成長は、お金を価値の最上段に据え「ゆったり過ごす」ことを片隅に追いやりました。江戸後期の農民たちなら一揆に打って出たであろう悪政をも、今の私たちは我慢しています。我慢しているというより巨大な構造の中で「一揆」を思い描く事を放棄せざるを得ない状況なのかもしれません。
 このごろスローライフの生活が見直され、ゆったりすることの大切さを多くの人が気づき始めました。伊旅行をした時、2時間の昼休み(シェスタ)があり、どの商店も6時にはシャッターを下ろし家族全員で夕食を摂ることが当たり前である社会を見ました。コンビニはありません。生活の質を大切にする生き方には学ぶべきものが多くありました。

 人は時間がたっぷりあるといろいろ考えるものです。創造するものです。文化はある程度の財力のもとで時間の余剰で生まれました。ゆっくり考えたら「大切な処で間違えた道」を人間が歩く本当の道に取り戻せる気がします。さだまさし氏の歌は、♪僕は風に向かって立つライオンでありたい♪ と締めくくります。
 旅をしたい、絵を描きたい、友だちとゆっくり語りたい、短歌を作りたい、人間として真っ当に生きたいーーゆったりとした時間を持つ中で、風に向かって立つライオンになりたいものだと思います。
 ゆったりと構えたなかでうまれた短歌三首。

 いち日の計画メモ出し「ゆったりと」紙片の隅に書き加えたり
 悠々とうねる大波見つめ思う力をすこし抜きて生きんと
 のびやかなチェロの響きの部屋に満ち日曜の朝ブラームス聴く
(京都府勤労者山岳連盟副理事長)