「おしゃべり」が変える
森  邦 博

 一人住まいのお年寄りを訪問して、「おしゃべり」するボランティアをしておられる方のお話を聞く機会があった。  こんなお話があった。

 ある男性のお宅訪問の様子の新聞記事をスクリーンに映して、
「でも、初めて訪問の時、3年間だれとも話したことがなかった、話し相手がいない生活で気持ちもふさぎ勝ちで、十分眠れず睡眠導入剤を服用しているとおっしゃった方なのです。」
「そんな方が訪問を続けているうちに、話すことを用意して待ってくださるようになり、とくに戦争の体験については熱心に話されるようになったのです。」
 その次スクリーンに映ったのは、正面を向いたその方の写真の記事。楽しそうな笑顔がこぼれている。ご本人もこの写真には満足そうだったそうだ。

 また、こんなお話があった。
「認知症の見られる女性の娘さんからの依頼で訪問しましたが、最初は大変困りました。ご主人の遺影だと思われる額を見て、『ご主人さん?』と尋ねても、『ええ』。これで終わりという具合で、無表情なままでした。」 「困っていたら、グループの人からこの女性は文学が好きだったとの情報をもらい、それなら百人一首をしましょうと誘ったのでした。」
「すると、上の句下の句をキチンと覚えておられ、だれよりも強い。坊主めくりでは、姫の札が出るとうれしそうな声を上げられ、反対に、坊主札が出るとがっくりとされる。人間らしさ、喜怒哀楽が蘇ってきてうれしかったのです。」

 また、訪問先の方の得意なことが謡曲だと分かった時の話。
 ボランティアグループの中の男性ができるというので一緒に訪れたところ、男性よりもよっぽど抑揚もあり声もよく、男性の方が教えてもらう立場になったということだった。
 この男性、実は持病があり、このボランティア活動が病気と闘う生きがいになっていて、「活動を通じて教えられ、与えてもらっている」と述懐されていたとご家族から聞き、
「亡くなられた方には失礼かもしれないけれども、人生の最後のページに良い体験を記されてよかったと拍手したのです。」

 話をお聞きしながら、「おしゃべり」が人と人との「つながり」「ふれあい」を作り、人を変える力を与えてくれている。言葉は人を元気づけ生きる力を与えてくれていると考えた。
(大津市「人権・生涯」学習推進員)