書教育雑感 その3
中 嶋 芳 弘

 子ども自らが、書くことに楽しく取り組む。書くことを工夫していく。そんな書写=「書」の時間にすることが肝要です。すなわち、
1、正しい形で整えて書くことは、主に硬筆で、字形の原理に従って学ばせる。毛筆では、その上に立って、ただ写すのではなく、墨の線が造っていく白と黒の造形の中からあるべき字形を見つけさせようにする。
2、起筆・終筆・はね・おれ・まがり・点など、用筆の基礎は大切である。しかし、教科書とあっているかどうかを批正するような狭い指導に陥らないで、児童がまねようとして生み出した用筆、あるいは教科書とは異なる用筆であっても古典に照らして正しいものは認め、伸ばしていける力を持つ。
3、のりで固めたような筆ではなくさばき筆にたっぷり墨をつけ、にじみやかすれをたのしみながら紙に向かって大きく書けるようにする。

 しかし、こうした考えで子どもに指導するとき、研究心を持つことを戒めなければならないと思います。それは文字に対する資質を育てないばかりか、いたずらに混乱させることになるからです。上条信山先生が第18回「全国日本書写書道研究会 滋賀大会」の席上、
「滋賀県では三原先生と太田先生をはじめとするすばらしい書家が書壇を去って書教育に専心しておられ、素晴らしい成果を挙げておられます。」
と前置きした上で、
「滋賀県はあえて難しい書教育の道を歩んでおられる。」
と評されたのを思い出します。あの口調には、一種の羨望とともに警鐘が含まれていたように思うのです。これは滋賀県小学校教育研究会書写部会の昭和53年の研究報告中に記されている問題点と重なるのではないかと思います。

○発達段階に即した書写技能についての認識が現場で旧来的なものと混交し、明確さを書いている。(「ふだんは教科書通り指導して、展覧会の時はむちゃくちゃ書かしたら賞がとれる」「滋賀の書教育はむちゃくちゃだ」指導することと偶然を待つことは違う。)
○教師一人ひとりが書ける手、見る目をもってるとはいえない。
 書教育を考える者は、この点を深く考え、子どもを見据え子どもの書くことへの喜びと努力を見極めて歩んでいかなければならないと考えています。
(彦根市立河瀬小)