巻頭言
ちょっとだけよの小学生時代
川 辺 一 雅

 私が小学生だったころは昭和40年代。テレビが急速に普及したテレビの黄金時代でした。いま思い出しても楽しい番組がいっぱい。夕方に放送されてた『ケロヨン』が見たくて、放課後、うちまで走ったものです。友だちに「バッハハーイ!」といいながら。
 でも、当時(いまも?)、テレビは教育の敵! 大宅壮一氏が「一億総白痴化」といい、それを受けたママゴン(もう死語ですね)は「テレビばかり見ているとばかになる」と子どもを叱ってました。

 かくいうわが家でも「テレビ戦争」は毎晩のごとく。たとえば『もーれつア太郎』は、途中から視聴禁止。「見たいニャロメ」とすねようが泣こうがだめ。どこぞに子どもに見せてはいけないと書いてあったからなんだとか。
 そんななか、私が絶対に見られなかったのが土曜日夜の『8時だョ!全員集合』でした。
 そのころドリフターズのギャグがどれだけ小学生にうけてたか、世代が違う人は想像できるでしょうか? 「あんたも好きねえー」「うんこちんちん」がわからなければ、教室で会話の輪に入れない!私は低学年のころ、週明けの月曜日とか、よく輪の外にぽつんといました。さみしかったな……。

 孤独な川辺くんは、それでは机でドリルをやってたか? そうはいくか!
 なんとか「見せてもらえないもの」を知りたくて、『子供の科学』を読んで、理科や工作を装いながらラジオを組み立てだしたのです。ゲルマラジオなら安く簡単に作れて、電池も不要。これは大発見でした!  寝たふりをして、ふとんのなかでこっそり聞く夜のラジオの世界は、まさに夢の世界。ドリフは見られなかったけど、私は『欽どん』のネタだけはクラスで一番知るようになったのです。

 テレビやゲームがほんとうに教育上よくないものなのか、私にはいまだによくわかりません。ただ「共通語」が全部奪われたら、つらいですよ、子どもは。
 しかし、マッサージで血流をちょっと遮ると、そのあと血のめぐりがよくなるように、適度な障害物があるというのは悪くないことでしょう。ドリルではなく、『子供の科学』を机に置いた私の父親は、そんなことをお見通しだったのかもしれません。
 私が教育者だったらゲームに夢中の子どもにきっとこういうでしょう、「ちょっとだけよ」と。
(小学館 児童・学習編集局副編集長)