巻頭言
言語活動の充実をめざす授業
山 本 瑞 穂

 言語活動の充実を通し、深め合う学習を行う本校の研究の重点として、次の三つに取り組んでいる。(1)一人学びの保障、(2)「合い」のある言語活動の充実、(3)「わかる」過程の見える化、である。この三点は連動している。一人学習でまず自分の考えをもち足場を確かにして「合い」の場へ臨む。話し合いの場では、わからないことや納得できないことが出てきたときに、踏みとどまり立ち止まる。互いの差異が明らかになり、その差異の根拠や背景を納得いくまで話し合う。そこには必然的なかかわり合いが創生する。様々な考え方に出会い、言葉を尽くしてわかり合う中で、意味が見えてくる。この意味を言語化できることが「真にわかった」状態である。言い換えれば「納得した学び」へ到達すれば自分の言葉で全てを説明することが可能となる。

 『枕草子』を読み深める授業。「冬はつとめて」なぜ冬は早朝がいいのか。自分だったら十分な暖房もなく、寒くていいなんて感じられない。清少納言は冬の早朝が風情があると感じるのはどうしてか。これが問いとなる。この時代の人々は今の時代と違い四季の気候の変化を敏感に感じ、降雪を風情として受けとめる。凍てつく寒さの中できびきび働く人々の姿に感動する感性にふれる。さらに昼間寒さがゆるみ炭が白くなることを「わろし」と最後に落とすことにも驚く。なぜなのかと揺さぶられる。この章段「風情がある」と述べてきて最後に「興ざめ」に言及する理由を「考えたい」「話し合いたい」という学習意欲が喚起される。そこで王朝の才女の五感の鋭さにあらためて感動する。なぜ第一段が名文と称されるのかを小集団や全体で話し合う内にこの随筆の「身近な常にある変化」と「対比で鮮明になる豊かな風情」に気づく。

 子どもの思考の深まりを促す問いの連続が、学びの連鎖を生む。必然的な「合い」のある授業の軌跡を板書に表現し、常に板書は深化・進化する。変容し、深まる子どもの思考過程を子ども自身がノートに表現する。「わかる」過程の可視化である。

 すなわち授業は互いの差異から生じる必然的「問い」によって深まり、子ども自身の「わかる」プロセスを言語化することで真に「わかった」に達する。
(金沢教育事務所 指導主事)