「教頭先生、書けません」
廣 瀬 久 忠

 本校では毎月1回「人権の日」の放送がある。今月は「子どもの人権」。担当教師が子どもの作文を紹介するために選んだのが文藝春秋8月臨時増刊号「つなみ 被災地のこども80人の作文集」。
 巻頭には気仙沼の少年の写真とともに、在イタリアの塩野七生の文が綴られている。その最終段落には、「泣くに泣けない被災者が多いのは、私でも想像できる。だが、この子たちのために被災地を再興するのも、われわれ日本の大人の責務ではないだろうか。ゆえに再興は、以前の状態にもどすことではなく、この先に長い人生が控えているこの子たちが、安心して喜んで住める町にすることではないかと思う」とある。そして、被災した子どもたちの作文80編が綴られている。

 放送では大変被害の大きかった岩手県大槌町の5年生八幡千代さんの「つなみについて」の作文が紹介された。400字詰原稿用紙2枚と2行。作文は、
「お母さんは、まだ見つかりませんが、かならず見つけて、3人で仲良く暮らしたいです。みんな がんばりましょう。」
で終わっている。

 その日、6年の1クラスで急遽1時間授業できることになった。このクラスは、震災から2か月の頃、1時間授業できる機会があり、「3.11と言えば」と問うた。「東日本大震災の起きた日」「大きな津波が来た日」「福島第一原発が事故を起こした日」とどれも正解の答えが返ってきた。私は「それだけか」と切り返す。悲しいかな災害の事実だけで、そこに被災した人々の忍従の生活が続いていることへの発言がなかった。子どもの生活と東北の生活がつながっていない。ニュースでは知っていてもそれが同じ日本で起こっていることとの認識は非常に薄い。その時は、「今、自分ができること。なすべきことを考え続けよう」に全員が頷いていた。それからさらに1か月経っていた。

 朝の放送をもったいなく思っていたので、他の作文も紹介し、相手意識を考えた作文(手紙)の学習をすることにした。かねてから用意しておいた5月8日付朝日新聞「ひとりじゃないよ応援しているから」の全国の子どもの被災した子どもへの応援メッセージも携え、手紙の参考にしようと授業に臨んだ。
 実際には送らないけれど被災した作文の作者に手紙を書く想定で学習を始めた。「作文を読んで、その感想を手紙に書こう」が学習課題。
 初めにこの手紙に使わない方がいいだろう言葉を問うた。子どもからは「亡くなった」「さびしい」「つらい」「地震」「つなみ」「がんばって」。語彙が少ないのが嘆かれる。
 ここでこの作文集から5人の作文を紹介した。胸がつまり読む声が震えるが、一人ひとり噛みしめるように音読した。少し間をおいて、新聞の川崎市の4年生「一つひとつ乗り越えて」の応援メッセージを紹介した。ここまでで30分。あと15分で手紙を書く時間となる。黒板に5人の作文のタイトルと作者名が板書されている。みんながどの人へ返事を書こうかと迷っているとき、A子が申し訳なさそうに言った。「教頭先生、手紙書けません。」「悲惨なくらしを続けてきている人に、頭をなぐられたみたいな気持ちです。言葉を選んでもうそに聞こえる。」「今、とても自分がはずかしい。前に教頭先生が、『いつも心に被災した東北を…』と言ってたけどやっぱりひとごとでした。」「そんな自分に手紙を書く資格はない。」ととうとうと語った。周囲のみんなも頷いている。
「ならば、手紙を書く資格ができる自分になろう。」
「もう一度、今の自分がなすべきことを考えよう。」
と子どもに語りかけた。「手紙の用紙はきみに預ける。書く資格ができたとき、私に出してください」と話し、授業を終えた。
 私にも手紙を書く資格があるのかと自問する。学校長の許しを得て、8月の終わり、岩手県大槌町へ自分のできることを見つけに行くことを決めた。
(湖南市立菩提寺北小)