子どもに響く言葉
弓 削 裕 之

 教育実習が終わった。今年は6年の社会専科をしているので、社会の授業を行う教生の指導に当たった。

 ある教生は、金閣と銀閣を教材とし、文化には当時の社会背景が表れていることに気づかせる授業を組み立てた。 「金閣と銀閣を比べて、それぞれの特徴を発表しましょう。」
 導入でこう発問し、それぞれの「似ているところ」「違うところ」を挙げさせた。細かな気づきを発表する子もいれば、教科書を見ずに知っている知識を発表する子、教科書の記述をそのまま読み上げる子など様々だった。
 先生の気迫が伝わる授業だったのだが、授業後の研究会で、授業者の教生がこんな反省を述べた。
「わたしは文化が当時の社会を反映していることについて気づいてもらいたかったのですが、学習の感想を読むと、文化に触れているものは少なかったんです。例えばAさんのノートには、<わたしは、銀閣の方が好きです。>とだけ書いてありました。めあてを意識するための手立てがもっと必要だったと感じました。」
 よい気づきだと感心しながらも、「わたしは、銀閣の方が好きです。」というAさんの感想が妙に心に残った。

 別のクラスの教生が、同じ教材を使って授業をした。指導案を見せてもらうと、導入で先ほどの教生と同じ発問が書かれていた。その時、Aさんの感想が思い浮かび、わたしは、その教生に、「同じ教材での授業後の感想に、こんなことを書いた児童がいましたよ。」と、Aさんの感想を紹介した。教生はそれを聞き、うれしそうな顔をして「ありがとうございました!」と帰っていった。
 次の日、書き直した指導案には、こんな発問が書かれていた。
「金閣と銀閣、どちらが好きですか。」
 わたしはワクワクしながら教室に入った。その発問がされた瞬間、子どもたちは食い入るように教科書の写真を見比べた。
「金閣が好きな人? 銀閣が好きな人?」
 教生はそう尋ね、それぞれ手を挙げさせた。ほぼ、同数。教生は躊躇なくどんどん子どもたちを指名していき、その理由を発言させた。
「わたしは金閣の方が好きです。なぜなら、金色で華やかで、豪華だからです。こんな家に住んでみたいです。」
「ぼくは銀閣の方が好きです。理由は落ち着いていて…何だかおばあちゃんの家みたいでほっとするからです。」
 教室が、子どもたちの素直な気持ちでいっぱいになった。教師の言葉が変われば、子どもの言葉も変わる。そのことに改めて気づかされた授業だった。
(京都女子大学附属小)