▼国語教材「たぬきの糸車」(光村)を学習する頃になると地域の方が糸車を教えに来て下さるという学校がある。「糸車をまわすのがかたかったです」「さいしょはかんたんだと思ったけれどいがいとむずかしかったです」「わたが糸になるとはおもいませんでした」と、その日の日記は糸車のことで溢れるという。

▼「野っ原詩の会」(埼玉県)という研究会がある。子どもの詩を持ち寄り、作品評や指導について考える月例会。積み上げて550回を超える。「糸車」の詩と出会ったのがその会。「わたをただもっているようにしか見えないのに、わたがほそくのびてふしぎだなあとおもいました。」 糸車の経験を書き、感想の言葉が印象に残った。綿が糸になっていく様子を素直な言葉で表現したとして、「糸車の様子がよく書けている」という高い評価を受けた。意見交換の中で、「不思議だという気持ちは誰もが持っている。私もそう思う。思うことは誰もする」と言い、加えて、「思ったことを言葉に表したことがいい。」 更に、「書くことは自分の歴史を作っていくことだから。」

▼日々の発見を書く機会が少なくなった。日記指導や詩の指導を熱い思いで語る機会がなくなった。書くことは自分発見であり自分の歴史作りという重さと文化を伝えようとされる地域の方の思いを感じた。(吉永幸司)