▼国語教育の課題を思考力・判断力・表現力にあると捉えているから「書くこと」に拘る。書くことの教育では、自己の真実を表現する面や社会生活を営む上で大切な役割を果たすという面がある。観察文、報告文、レポートなどである。

▼思考力・判断力・表現力を課題にするとすれば、言語文化の視点も大切である。学習のための書くことがあってもいいのではないかという考えである。

▼少し前から、授業の最後に「書く時間」を設けた。最初は感想を書くということだけの意味を持たせたが、それが続くと次の段階が見えてきた。書くことで授業を評価するという目が育ってきた。受け身の学習から主体的に取り組む学習へ変容をした。書くことに値する授業であったかどうかを決めなければならないからである。結果として、感想が書けるような授業にする必要が生まれてきたのである。書けないということは書くことに値する授業でなかったということだからである。

▼学習指導要領が示す言語活動例を方法論のみでとらえると授業の華やかさだけになりそうな気がする。「書くこと」を軸にして、どのような「書く」が、思考力・判断力・表現力を育成するのかを問うことが軸になければ、言語力の育成と絡んでこない。その筋道が見つかるまでひたすら書かせることであろう。(吉永幸司)