巻頭言
私 の 原 点
青 木 千 波

 昨年久しぶりに先生にお会いした。先生は母のことや長男のことを覚えて下さっていた。歳月は流れ、昨年母は85歳で他界、息子は成人した。振り返れば、先生との出会いは四半世紀前に遡る。新任2年目の秋、滋賀大附属小へ管外視察に行った折、「たぬきの糸車」を参観させていただいた。駆け出しの教員である私にとって初めて見る先生の授業は言葉に言い尽くせぬ衝撃的なものであった。教室は、静かな時の流れに包まれ、子どもたちの「キークルクルキーカラカラ」の音読が凛と響き渡っていた。そこに慈愛溢れた優しい先生の声。それはあたかも仏の世界に立ち入ったかのごとく神秘的な空間であった。

 先生との二度目の再会は、長男が8ヶ月の時、附属小の公開授業「茂吉のねこ」の会場。当時、私は育児休暇中で、まだ乳離れしない我が子を連れ、母に同行してもらい参加した。ちょうどインフルエンザが流行っていた季節で,体調のおもわしくない子どももいたようだ。先生のそっと額に手を当てて声をかける細やかな配慮が心にしみた。授業は、考えぬかれた無駄のない発問で子どもたちも参観者もぐんぐんと物語の世界に引き込まれていった。帰路母から先生が何度も声をかけて下さったことを聞かされた。母にまで心遣い下さった先生の温かさに胸があつくなった。

 先生の国語、それは先生の人間性すべてから生み出されるものではあるまいか。先生の世界は教育の原点そのものを教えて下さる場であった。私も今年で教員生活28年を迎え、日々悩みや葛藤の連続である。その度に先生から教えていただいた原点に立ちかえってきた。目の前の子どもをどこまでも大切にし、子ども達の無限の可能性を引き出す。そんな教師でありたい。

 今も京都より届く先生の国語通信。それは私の宝である。一教員に長年にわたり通信を送り続けてくださる先生に深い感謝の思いでいっぱいである。
(春日部市立武里南小学校)