「やまなし」とA君の学習
白 髭 英 之

 『やまなし』(光村六年)は、小学校における文学作品の学習の集大成のような教材でもある。「五月」と「十二月」を大きな一つ場面としてとらえて読み進めていく学習も考えた。しかし、子どもたちの実態に加え、思想性に富んだ独特の文章であることを考え、行ごと、あるいは部分ごとに読み取っていく学習にした。

 『やまなし』の学習に対して二つの思いをもっていた。一つは、学習の最後で、子どもたちに『やまなし』の主題を考えさせたいということ。子どもたちが想像したことや感じたことを通して、賢治の思いに近づきたいと考えた。二つ目は、A君が『やまなし』の学習と向き合うようになること。A君は、学習に対する意欲は決して高くない。特に国語科や算数科では関心がない様子が顕著に現れる。ただ、能力的に低いわけではなく、評価テストでもある程度の結果を残す。「自分で考える」ことが面倒で、「わかろうとする必要性を感じていない」のではないかと考えていた。国語科の学習に関心を示さないA君が、自分の思いをもって学習に取り組めるようにしたいと考えた。

 学習の始めに一読しての感想を原稿用紙に書いた。A君の感想は「意味とかあまりわからなかったけど、はじめは五月でちっちゃかったけど、十二月になって大きくなるとかそういうのがよかった」であった。

 この学習では四つのことを大切にした。一つ目は音読や黙読など、文章を何度も読むこと。二つ目は、擬態語や比喩などの文章表現に着目すること。三つ目は、叙述や行間から想像して読み取り、自分の考えを自分の言葉で表すこと。四つ目は、その書いたことを広く交流すること。

 A君の学習中の様子は、最初の頃はノ−トによく落書きをしていた。関心がないと、他の教科でもよくする行動である。天気のよい日の午後であると眠り始めることもあった。質問しても「え?わからん」と答えることが多かった。ただ、みんなで考えたいことを一人一発表することを繰り返していると、短い言葉ながら、自分で想像して読み取ったことを話すようにはなってきた。

 そして、学習の最後に『やまなし』の主題について書いた。A君が書いたことの一部を紹介すると「たぶん、ぼく的には、生物は死んでいくけど、ムダじゃない死もある、ということを宮沢賢治は伝えたかったのかなぁと、ぼくは思いました…」であった。考えを伝え合う中で、A君の心に響いた言葉があったのかもしれない。

 A君の学習の軌跡を追えば、私の指導上の課題が明らかになると考える。
(彦根市立城南小)