あるパン屋にて
弓 削 裕 之

 日曜の朝のこと。朝食を買おうと立ち寄ったパン屋に、幼い姉弟が入ってきた。どうやら2人で買い物にきたようだ。弟は小学校低学年、姉は中学年くらいだろうか。
「はい、お姉ちゃん」
と弟がトレイを姉に差し出すと、
「ありがとう。」
と姉がやわらかい口調でお礼を言った。
「お姉ちゃんは僕が悪いことしても、いつも優しいね。」
「そうかなぁ?」
 パンを眺めながらそんな会話が続き、微笑ましい光景だな…と、心があたたかくなった。

 私が「新作」と書かれた札のはってあるウインナーパンの前で迷っていると、弟もそのパンに目が止まったらしく、すぐに姉を呼んだ。
「お姉ちゃん、このパン新作って書いてあるで!お母さんに買うていってあげよか!」
 弟の言葉を聞いた姉は、少し考えた後、真剣な表情でこんなことをつぶやいた。
「ええと…ひとつ140円だから、2つ買うなら、かけ算して…140かける2で…2×0=0、2×4=8、2×1=2…で280円。よかった、まだ足りる。」
「買える?」
 不安そうに弟が聞くと、
「うん、お母さんに買っていけるよ。」
と姉が笑顔で答えた。弟も満面の笑みを浮かべた。
 私はこの様子を見ていて、胸が震えた。この子たちはかけ算を習ったからこそ、母親にとっておきのプレゼントを買って帰ることができた。学びが日常の中で確かに活き、小さな幸せを運んでくれた。

 国語科が抱える課題の一つは、授業で学んだことがどこで活きているのか、どこで活かせばよいのかがわからないことである。もしかすると自分でも気づかないうちに生活のどこかで活きているのかもしれないが、子どもはそれが「国語の授業のおかげ」とは思わないだろう。子どもはおろか、それを教えた教師でさえ、国語の学びが活きた瞬間を見逃してしまうかもしれない。

 子どもたちが国語科の学習内容に必要性を感じるには、どうすればよいのだろう。授業改善の視点で考えると、導入時、子どもたちに目標(授業や単元の出口)を明確に提示し、まず「国語の授業を受けないとこれが実現できない!」と思わせることが大切だ。そして、必ず国語の授業で学んだことを活かす場を意図的に設定し、子どもたちが「国語の授業って役に立つなぁ」と実感できるような支援をしていく必要がある。
(京都女子大学附属小)