詩を読む(1)「紙風船」(黒田三郎)
吉 永 幸 司

1.詩を読むということ
 詩を読むことは言葉の意味を考えたり磨いたりすることに快さを感じることである。  例えば、気持ちや様子を答える時、「かわいそう」とか「感動した」ということを発表して満足している段階では、目的を果たしていない。心の動きを手がかりに適切な表現を探すことに力を注ぐことである。そのように考えているのは、国語の時間に勉強をすれば、新しい自分に出会えるような気持ちになる。それも、言葉に、命を吹き込むことで新しさを感じるような授業、それが詩の授業だと思うからである。

2.教材「紙風船」について
 落ちても落ちてもより高く「美しい願いごと」のように風船を打ち上げようという気持ちを表している。これを読むだけではそれほど深い感動を覚える子は少ないであろう。「落ちる・高く・美しい・願いごと」などはそれだけでは新鮮ではない。言葉を繋ぎ、紡ぎ、編むことで新しい意味を発見することが大事だろうと考え指導をしたいと思っている。

3.深く読むということ
 授業の目標を「深く読むというのはどういうことだろう」ということにした。  「深い読み」という言葉は教室用語として口にすることが多い。しかし、深いと浅いを対比したり、どのような状態が深いのかを教えることはあまりない。子どもの中にどのように位置づいているのかを知ろうとか、「深い」という言葉の意味を考える意識はない。そのような実態を見直す機会に位置づけたいと考えている。そのための具体的指導方法を次のように考えた。

○「深く考えるということ」を目標にして子ども自身が意味作りをする授業にする。「深く」は教える内容ではない。子どもが自分の学習作業の中に取り入れて意味作りをする過程で、考えよう、広げようという機会にしたいととらえている。従って、到達の基準は特に設けないが、方向は間違いのないようにしたい。

○抽象的な言葉から具体的な意味作りをする。例えば、「落ちて来たら」の場合、「落ちる」を対比で考える、もので考えるというように、語を広げる方法を指導しながら、「深いと浅い」の違いを理解させ自力で考える力を育てたい。

○自分の活動を自分で見つけ言葉で表す。国語の授業は指示が多い。「詩を読んでどんな感想を持ちましたか」などのように。考えるを軸にした授業では、方向や価値を広げたり、収束したりしながら、自分の言葉を育てることが学習であるという意識を育てる機会にしたい。
(京都女子大学)