▼青木幹勇先生は若い頃からの憧れの先生だった。東京がまだ遠い時代だったし、先生の大きさを知らないままに20代を過ごした。その頃、『近江の子ども』という文集があった。編集長の高野倖生さんの配慮で指導者として名を連ねている実践者の研究会があった。その研究会の講師に来られたのが青木幹勇先生であった。先生の著作集から学んだことをお話したのがご縁だった。

▼『国語教室』という冊子を毎月届けていただいたり、国語教育学会では授業を見て下さったりして、実践への意欲、エネルギーをいただいた。拙い実践記録をお届けする度に励ましのお言葉もいただいた。

▼青木幹勇先生のお話で話が弾んだことがあった。その時、「私は教え子」と名乗って下さったのが野崎仁美さんである。野崎さんは、京都女子大学附属小学校の保護者会の役員、読書ボランティアとしてご活躍であった。2人の子どもさんはお話コンクールでは姉弟揃って大賞を獲得する等、国語力にも優れた力を持っておられる。在校生の保護者として、国語の授業に関心を持っておられた。ある時、「恩師の青木先生と同じお考えですね」と言われ、大変なほめ言葉いただいた気分だっだ。

▼青木幹勇先生の教え子である野崎さんを通して、授業風景などをお聞きし、改めて教育の力の大きさ、奥深さを感じている。(吉永幸司)