巻頭言
青木幹勇先生の想い出 教え子として
野 崎 仁 美

 私は東京教育大附小で五年間、青木幹勇先生に国語を教えて頂いた。時を経てこうして寄稿の機会を頂き不思議な御縁を感じている。

 母国語としての日本語を学ぶことに於いて先生は、第一にしっかりと文意を捉え、内容を理解させた。意味段落に分け、各段落の要旨をおさえ、徹底して文の構造を捉えることで主題をつかむ。あるいは、物語文ならば、想像力を駆使して情景を具体的にイメージし人物の心情に思いをはせる。時に人物の行動と心情を対比させたり表にまとめることで理解を促した。
 特に情景をイメージさせるのが先生は大変お上手だった。劇中歌に実際に各自でメロディをつけて歌わせたり、絵本を製作させたりなさったが、それは頭の中でイメージした場面をリアルな実像として具現化することで追体験し、体験的に理解するものだった。

 表現ということについては、単なる技巧ではない子供らしい表現を求められた。例えば詩の授業では、農作業で荒れた父親の手を誇る子供の詩を取り上げ、「真実の感動」が詩われていると強調された。生きることへの感動と力強さが子供らしく詩われているのが素晴らしいということだった。
 これは書く為には「書く動機」すなわち真の感動があって、言葉はそこから生まれてくること、そしてその表現には必然的にその人らしさがあり、そこに生命のきらめきをもった言葉が生まれるということを示されたと理解している。

 一貫して先生は「らしさ」を大切になさった。「子供らしさ」「男の子らしさ」などナチュラルな表現を好まれたと記憶している。
 思えば小四で「ラジオ国語教室六年生」に出演させて頂いたり、可愛がって頂いたが、私は国語の授業でヒットは打つがなかなかホームランは打てなかった。それを自覚していた私は、ホームランをねらっていつも力が入っていた。「日本一」の先生に認められたい気負いが、私から「らしさ」を奪っていたのかもしれない。

 五年間の国語の授業で、私は「言葉」に対する感性を育てて頂いた。意思伝達手段としての国語を学ぶ以上に、文化としての言葉、芸術としての言葉を学ばせて頂いた。言葉が言葉である以上にその人を語り、生き方そのものが現れる。先生の授業を通して私は、日本の心を、生き方を学んだのだ。

 先生の想い出は尽きない。今はただ「感謝」の言葉で結びたい。