本棚  「空気」と「世間」
鴻上尚史 著 BK1
講談社現代新書 2009.7 740円
「空気」と「世間」

 「空気を読む」という言葉がよく使われる。だが、「空気」の正体がわからなければ、「読む」こともできない。結論から言えば、著者は「空気」とは「世間」が流動化したものであると言う。
 では、「世間」とは何か。明治以降、日本を西洋化するために「社会」という言葉が作られた。だが「個人」が確立されないところで「社会」は成立しない。そこで、建前としての「社会」と本音としての「世間」が生まれたと、阿部謹也の説を引いて説明する。

 「世間」のルールとして、@贈与・互酬の関係、A長幼の序、B共通の時間意識、C差別的で排他的、D神秘性の5つを挙げている。利害関係のある集団、例えば地域共同体や会社、子どもで言えば学級などが「世間」である。「世間」には束縛もされるが、支えられてもきた。

 だが、近年、その「世間」が壊れてきた。先に掲げたルールのどれかが欠けているのが「空気」である。大人が「世間」に疑問を感じるように、子どもも「クラスの和」とか「まとまり」いうものを無条件に信じられなくなっている。特別な理由もなくいじめられる「順番に来るいじめ」も、そういう「空気」の中で起こるという。
 「世間」や「空気」の重苦しさを取り払う方法も最後に述べられている。読みやすく書かれているので、ぜひ一読を。(常諾真教)