ここがこういいと言える そして、書ける(1)
中 嶋 芳 弘

 私の書道の師が「見えるだけ書ける。書けるだけ見える」と言われたことを、ときどき思い出す。「書」の学びに関わる場面での言葉であったが、良い授業をするという場面でも、子どもたちが学びを身につける場面でも通じるものがあると考えている。それは「通じ合い」であり、「…方の理解」なのである。

 中休みの終わりの予鈴が鳴る。私は、6年○組の書写の授業に向かうところである。廊下に、その教室に急ぐ数人の子どもたちの姿。そして、2人の「失礼します。6年○組の○○と○○ですが、体育館の鍵を返しに来ました」と言う声が後から聞こえてきた。〈教室で、本鈴を聞くには、ぎりぎりの時間になるな〉と思いながら、私は、ゆっくりと教室に向かう。

 いつもであれば、本鈴とほぼ同時に戸口に立つ。日直が「起立」と号令。私が教壇に進む。「これから○時間目の書写の授業を始めます。礼」と号令が続く。私が入る学級で4月から約束している授業の始め方である。(私の頭の中には、卒業式で卒業生が学校長の言葉を聞く場面がある。それは、校長先生から受ける最後の授業。それも公開授業である。式練習で挨拶から聞く姿勢まで指導するが、普段からしていてよいことだと思う。中学校や高校で「ベル着」が学校や生徒会の取り組みになるのは、このことが当たり前になっていないからではないのかと、高校の教師に言われたことがある)

 教室に着くと中から、「まだ、2人帰ってない」とひそひそ声。「鍵、返しに行ってくれてやるんや。」 私も、知っているのでいつもとは違って廊下すみで待っていると、「先生、すみません。2人が鍵を返しに行ってくれているので少し待ってもらえますか」とI君。そこへ2人が、「鍵を返しに行っていて遅れました。すみません」と帰ってくる。「ご苦労さん」と私。「ありがとう」「早く席に着きい」と教室の中から仲間の声。「起立」私が、教壇に立つと日直のいつもの挨拶で授業が始まった。

 次は、忘れ物点検。忘れ物をしないのが「当たり前」のクラスなら不必要なひととき。「忘れ物をしたら貸してもらってする」。私の学校に限ったことではないだろうが、これをひとたび認めると忘れ物は減るどころか増える。いかにして、教科書や学習用具をなければならない物と感じさせるか。なくても授業に参加できるように授業展開は工夫しつつ、よりよい学びのためには用具をそろえなければと感じさせること。言うはやすく…である。授業開始から7週、はじめ25名中11名を数えた忘れ物をする子は、4名になった。
(彦根市立河瀬小)