巻頭言
損 を 選 ぶ 人
新 田 哲 之

 損をする人、損を選ぶ人を見て凄いなあと思う。ところが、わたしを含め、多くの人が利を得る「得」に目を向け、何かにつけ損か得かで自分の行動を選択している。人より得をしようと血眼になる。人より楽がしたくてそれが判断の基準になる。

 NHKのテレビ番組で、就職して三年以内に辞める若者がふえ続けており、辞める理由のうち最も多いのが仕事のやり方を先輩や上司が教えてくれないことだと報じていた。若者は自分にわかる説明をしてくれなかったと言う。楽をして得を得る考え方である。

 先日、教え子から葉書が届いた。学校を卒業し工務店で働いていること、社長から見込まれて仕事の裁量を任されるまでになったことが書かれており、教え子の活躍がうれしかった。葉書の最後に、「子どもの時、先生から、人の嫌がる仕事を進んでやるのがきみのいいところだと言われ、ぼくはそれでこれまでやってきました。」とあった。確かその子は、汚れたトイレをいつも磨き上げる子どもだった。

 今、小学一年生の担任をしている。一年生は、社会の風潮に巻き込まれていない。無垢である。六月に一文を書くことを教える。今日は何を書こうか、楽しかったことは何と問いかけるとあれもこれも書きたいと答える。そこにはお母さんや先生に教えたい思いがある。楽しかったできごとを表現したい欲求がある。書き間違いを指摘すれば何度でも書き直す。苦しいけど楽しい作業である。次第にすらすらと書けるようになり、前より賢くなったと感じる。しんどいことをやり通したからこそ今がある。

 しかし、損ということばをすでに一年生から耳にすることがある。わたしが用事を頼むと、「ぼくばかり。損だ。」と言う。わたしはそう言う子どもにあえて頼むことにしている。損を選ぶことはたやすい。けれども、選んだ後は汗をかく。汗をかいてこそ人にも喜ばれる。

 「さざなみ国語教室」は、二十八年続いていると伺った。一つのことを続ける苦労は並大抵ではない。この恩恵をわたしは受けている。自分が得を受ける陰には損を選んで汗をかく人がいること、損を選ぶ人になることを子どもに伝えていきたい。
(安田学園安田小学校教諭)