▼子どもの言葉で気になるものに「忘れた」がある。低学年の授業で、勢いよく挙手した子。指名をされると「忘れた」と言うことがある。微笑ましい風景である。しかし、これが日常化されると笑いごとですまなくなる。

▼例によって、「たたいた」「たたいてない」というトラブルに関わった。少し前のできごとなのに、何を聞いても「忘れた」と言い張る子がいた。できごとを丁寧に思い出させ、辛抱することやその場において、どのように行動することがよいのかを指導した。その場では、理解をしたように思えたので、帰ったら家の人に話をするように指示をした。

▼翌朝、「昨日の話を、お家の人にできましたか」と尋ねると、「しました」という意味なのだろう。頷いた。「お家の人はどのようにお話をされましたか」と再質問。答えは「忘れた」である。おそらく、自分では話していないのだろうと察したが、この返事では踏み込む隙がない。経験として、このように答えればそれ以上は深く追求されないという知恵を身に付けたのだろう。授業で「忘れました」を見逃してきたことがこういう子にしたのか、それとも、日頃の会話から、便利な言葉として習得したのか定かではないが。

▼昭和の頃「記憶にありません」と言う言葉が流行した。それを思い出す瞬間であった。(吉永幸司)