巻頭言
発見的な読み
森 山  勇

 「さかあがり 見てくれていた あきの空」。これは,第9回少年少女かわなべ青の俳句大会(鹿児島県南九州市川辺町等主催)に小中高生から応募のあった11万5千点を超える作品の中で,最高賞の福永耕二賞に輝いた野口青葉さん(扇尾小学校2年生)の作品である。
 一人で何度も何度も挑戦してやっとできた逆上がり。だれも見てくれていないと思っていたら,秋の空だけは見てくれていた。少なくとも作者の男の子の目にはそう映ったのだ。このように読み手の視点を作者の背後に移動させ,作者が見たであろう情景をあたかも眺めているような気持ちになって,作品を味わう読み方は,文学的な文章を理解するのに有効な読み方の一つである。

 私は,説明的な文章を読むときこそ,筆者の視点を意識することで深く,広く読むことができるのではないかと考えている。
 映画監督の森達也氏がこんなことを言っている。「(メディアリテラシーなる本来の意味は,)メディアが作り手の主観によって支えられることを認識し,視点を変えれば違う実相が見えてくることを常に意識に置きながら,メディアに接することなのだ。」
 世の中には同じ事象を見るにしても,多数の視点が存在する。筆者は,どのような発想の下で,どのような視点に立って,文章を書いているのかを探りながら,説明的な文章を読みたい。

 また,S.Iハヤカワ氏は『思考と行動における言語』の中で,「巧みな書き手というのは,読み手を望みのように動かすに違いない事実を選択する技術に特に熟練した人である。人は,このような描写的な,事実に即した書き方には,むき出しの断定よりもいっそう動かされる」と述べている。

 説明的な文章では,筆者は,自分の主張を分かってもらうために,数ある事象の中から,ある視点に立って,様々な諸事実を選択的に選び出して文章を構成している。読み手である教師が教材研究を行う際に,その教師なりに「あっ。そうか。このような事例を取り上げたのは,筆者が○○という視点に立っていたからなんだ。題名と事例とを関係付けて読むと,新たな気付きが生まれるなあ。」などと教材を発見的に読むことができれば,授業展開も豊かで広いものになるに違いない。
(鹿児島県教育庁総務福利課)