【特別寄稿】
「威風堂々」
岡 野 雅 子

 亡くなった母方の祖父は、クラシックが好きだった。しゃべった記憶はあまりない。覚えているのは、夏休みの算数の宿題を教えてもらったことと、ごはんのあとに2階にあがり、すばらしいオーディオセットでクラシックを聞いていたことくらいだ。
 私がまだ幼い頃、こっそり2階にあがり、オーディオの前に座って音楽を聴いている祖父の背中を見ていた記憶がある。多分、夏だったと思う。窓が開いていて、風が気持ちよかった。そして祖父の部屋からは、海が見えた。

 祖父が亡くなったとき、お通夜からずっとクラシックが流れていた。エルガーの、「威風堂々」。行進曲だから、お通夜やお葬式には似つかわしくなかった。さめざめと泣く祖母や、親戚一同の背後に流れる、威風堂々。出棺のときも威風堂々。

 この「威風堂々」は、祖父の一番好きだった曲で、遺言で「葬式で流してほしい」と頼んであったそうだ。最近になって、考えた。なぜ「威風堂々」だったのだろう。「威風堂々」の意味は、「態度や雰囲気に威厳があって立派な様子」である。そこで、祖父の想いは一体何だったのだろうと、考えた。「一番好きだったから」ということが前提であるのでその理由は省くとして、2つの答えが出た。
 @自分の人生を悔いなく生きたから、堂々としていたい。
 A人生はあっという間だから、残された人生を、自分らしく堂々と生きてほしい。
 @は、「自分自身に対する思い」であるが、Aは「残されたものへのメッセージ」である。多分、祖父はそこまで考えてはいなかっただろうとは思う。亡くなった人の残したものを前にして、色々と論じたり考えたりするのは、いつだって残された人たちだ。本人が意図していたことと、全く違ったことを論じたり考えたりしているのかもしれない。深読みしすぎだとも思うし、自分の都合のいいように解釈しているのかもしれないとも思う。

 けれど、お葬式で「威風堂々」を聴いてから、私の心に何かが生まれ、影響を与えていることは確かだ。「悔いのないように、堂々と生きていきたい」そんなことを思ったりする。
 私はもうすぐ大学院を卒業し、小学校の教師になる。「学級経営がきちんとできるの だろうか」、「分かりやすい授業ができるだろうか」など、不安に思うことはたくさん ある。働きはじめてから、落ち込むことは多々あるだろう。そんなときは「威風堂々」 を聴いて、祖父の生き様に思いを馳せ、悔いのないように、自分らしくがんばってい こうと思う。
(京都女子大学大学院)