本棚
わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 読解の授業で、範読を聞いたり音読を繰り返したりするうちに、子どもたちはもうわかったような気になって、さらに学習しようという意欲が低いということはないだろうか。 著者の言う「わかったつもり」とは、「わからない部分が見つからない」という意味で安定している状態であるから、その先を詮索しようとはしない。「よりわかる」ためには、やっかいな状態なのである。 「わかったつもり」になるのは、文章全体の雰囲気からであったり、部分が読めていなかったり、ステレオタイプのスキーマ(既に持っているひとまとまりの知識)に引きずられてしまったりなど、さまざまな原因がある。 例えば、木下順二の『夕鶴』を一読後に「つうは、なぜ美しい布を織ったと思うか」と尋ねると、多くの人が「恩返しをするため」と答えるが、本文にはそうは書かれていない。恩返しの昔話だというスキーマによって「わかったつもり」に陥るというのである。 他にも「正倉院とシルクロード」「いろいろな ふね」など小学校の国語教材を例に使いながら説明される。教材研究するときの一つの視点として、知っていると役立つ内容である。 第1章 「読み」が深まらないのはなぜか 第2章 「わかったつもり」という困った状態 第3章 これが「わかったつもり」だ 第4章 さまざまな「わかったつもり」 第5章 「わかったつもり」の壊し方 (常諾真教)
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