巻頭言
いただいた宝物
塚 田 博 教

 はじめまして。私は小学校で宗教科を担当させていただいております。

 私には、一冊の宝物があります。それは、『百羽のツル』というタイトルの絵本です。今からおよそ二十年前のことです。当時、まだ大学生だった私は、ある先生とお出遇いをさせていただきました。大学が、何度も交渉を重ね、是非にとお招きをした先生だったそうです。先生はご高齢のため、歩くことがご不自由で杖をつかれ、キャンパスを抜け、校舎の下までタクシーで着け、荷物を学生に預け、導かれながら教室においでになりました。

 その姿を見た学生は、一様に大丈夫なのだろうかという不安を心に抱きました。ところが、その瞬間、「私の名前は、花岡大学です」という大きな声が教室中に響きわたり、一瞬にして全ての学生は度肝を抜かれました。それが、私と児童文学者、花岡大学先生との最初の出遇いでした。

 それからのご講義は、いずれも魅力にあふれたものばかり、弱々しく見えるそのお姿の何処にそんなエネルギーがあるのだろうかと不思議に思うくらいでした。そのご講義の中でも、特に熱弁をふるっておられたのが、当時、まだ完成したばかりの『百羽のツル』についてでした。決して、長編ではありません。冬の凜烈なる夜空に舞う百羽のツル。その群れの小さな一羽が落ちていくという物語です。そこに込められた思いを先生が語られるお姿には、鬼気迫るものさえ感じました。それを、受講していた全ての学生が固唾を呑みながら聴いているのです。今時の講義、いや当時であっても異例のご講義であったように思います。

 病気になった小さな一羽のツル。そのツルが力尽きて落ちていく。ところが、そのツルは助けを求める声を一声もあげずに落ちていくのです。まもなく、目的地の湖にたどり着くとよろこぶ九十九羽のツルの思いを遮らないためにです。次の瞬間、落ちていく小さなツルに気づいた九十九羽のツルは一斉に我が身の危険も顧みず急降下し、ついには小さな一羽のツルを救うのです。

 私の筆力では、なかなか先生の物語の雄大なスケールや何とも言えず心の中に染み込んでくる優しさをお伝えすることができないのですが、そこに描かれた心象風景はどこにでもありそうでありながら、まぎれもなく、今、私たちが一番失いつつある心であるように思います。損か得か、或いは有益か無益かなどという小さな人間の尺度を超えたところにこの物語は成立しているように思えるのです。

 最後に、先生はご自身のお書きになるもののジャンルを仏典童話と呼んでおられました。レポートの課題として宮沢賢治の『なめとこ山の熊』が出されました。もちろん、当時から宮沢賢治の有名な作品はほとんど読んでおりましたが、この作品は知りませんでした。しかし、読後に受けた衝撃は今でも忘れません。賢治の作品が仏典によることは言うまでもありませんね。

 翌年、先生はお浄土に往生されました。その宝物を受け継ぐ者として、子供たちに何を伝えるか。それが私の課題です。合掌
(京都女子大学附属小学校)