巻頭言
車石、この面白いもの
久 保  孝

 車石とは、江戸時代、京都周辺の三街道(東海道・竹田街道・鳥羽街道)に敷かれていた交通施設である。石の表面に車輪の通る溝跡がある。

 五年ほど前から、「溝は初めから彫ったもの」という定説に疑問をもち、調べている。どこそこに車石があると聞けば、迷惑も顧みず、見せてもらっている。そんなわけでこれまでに数百という車石を見てきた。数百という数になると、車石のすべてのパターンが分かる数である。石をじっくりと見たあとは、寸法、溝の幅・深さ、溝の位置、溝筋、石材などを観察し、記録する。

 中央に丸い溝のある「典型的」な石は、そのパターンの一部で、実にさまざまな石がある。
 まず、溝の位置がまちまちである。石の端に溝のある石も多い。表だけでなく裏にも溝のある石、十字になっている石、二筋が垂直になっている石、表面に二筋の溝がある石、溝の形がなだらかなもの、溝の深さが1cmほどのもの。
 それだけでない。長さ2mもの長大なもの。畳一畳ほどの石に、すっと一筋通っている立派なものもある。
 後世の模刻石=ニセ物もある。十字に交わっている石をよく見ると、一方の溝は本物で、片方が摸刻であることが分かり、がっかりさせられたこともある。
 持ち主の方に、この庭に据えられるようになるまでの経緯を聞くのも楽しい。詳しい来歴を語ってくれる人もあれば、逆に質問をしてくる人もいる。

 この石調査は、石の形状調べにとどまらない。どんどん広がっていく。車石の石材産地ははどこか。発明した人は誰か。敷設工事の様子はどうだったか。石の上を通行した牛車のこと、その牛車をひっぱった車牛の原産地。車道と人馬道との関係、複線か単線か、単線なら交通規制はどうだったか、運送業者である車仲間の仕組みはどうか、などなどである。
 フィールドワークと想像だけで分からなければ、聞き取り調査や文献調査がある。さらには古文書の解読も必要になってくる。

 よく考えてみると、これは、大人の総合学習である。ある程度、知識がないと取り組めない。子どもの場合でも同じことだろう。
 最近ようやくまとめの段階に入った。自説を多くの人に分かってもらえるように、発表の工夫を考えているところである。
(京都女子大学附属小学校)