巻頭言
私 の 教 育 史 よ り
上 杉 政 男

1.新任から学級担任の頃
 敗戦後の混乱と教育
 昭和二十年八月十五日は、わが国にとっては運命の日となった。連合国のポツダム宣言を受諾し、太平洋戦争が終結しこの日を境にして、占領・新憲法の国へと大転換するのである。
 (戦中派と言われる私の世代は国の運命や存在を最も身近に感じ自分の生命身体とかかわるものとなっていた。師範学校の同級生の十六名は戦没した。その多くは志願し、サイパン・沖縄などの苛烈な戦場に散っていった。今も目ぶたに浮かぶ友は永遠に若き姿である。ご冥福を祈るや切なり。)
 昭和二十二年三月に「教育基本法」と「学校教育法」が公布された。

2.中堅教員・教頭の頃
 昭和三十年代はわが国は独立国の地位を回復した後に、日米安保条約の締結や日ソ国交回復に関する共同宣言などがあった。
 戦後復興の成果を問うような、東京オリンピックの成功は感動的なものであった。
 昭和三十三年の教育課程の改訂は独立国日本の教育を確立するための大きな改訂となり、特に戦後教育の懸案となっていた道徳教育の振興のために「道徳の時間」を特設した。
 中堅教員としては、保健主事や教務主任の職責を果たすことが大切であった。教頭に任命されると学校の物と人に関することが職務に直結しており責任の重さを痛感。

3.指導主事等・校長の頃
 わが滋賀県においては、昭和五十年の全国植樹祭(栗東市金勝山)と昭和五十六年のびわ湖国体(大津市皇子山)という全国的な大イベントが計画されておりその成功を期することが県民的課題であった。
 私は金勝小学校長ならびに晴嵐小学校長に就任しました。金勝小学校は全国植樹祭の地元校であり児童数が急に多くなった学校でありました。
 晴嵐小学校では新一年生の門出を祝福してくださる勧学祭が四月一日朝にありました。
 ひとりひとりの子供に教育を徹底することを祈念して日々の仕事に取り組ました。
 私は最高学年の卒業生に卒業証書を授与する時に子どもの人間全体を感じとれるように念願いたしました。
(元大津市教育長)