子どもが学び取る学習活動を
杉 澤 周 一

 子どもの学びを次のように捉え、これらを自覚させるための授業を構想し、その指導と評価をしているかどうかを自省することがある。
・理解できた
・疑問が解けた
・できなかったことができた
・知らなかったことを知った
・課題を解決した
・考えなどが変容した
・次につながる体験をした
・次の関心、意欲をもった … 

 例えば、原稿用紙の使い方を一斉学習で教え、個々に作文を書かせた時、句読点が付いていない子どもへの指導はどうだろう。
@「ここに付けなければいけないのに、付いていないから、これからはちゃんと付けようね」と赤ペンで訂正箇所を示して返す。
A「ここに付けなければいけないのに、付いていないから、今、この文とその前と後ろの文をもう一度書いて覚えようか。見ていてあげるから書いてごらん」
 一緒に「点」「丸」と声を添えて。その後「次は、違う文で練習してみようか」と短い文で「点」「丸」を自力で書くところを見届け、ほめる。以後もノートを見るたびに見取り指導。
 @は、教えて、見て励ます。教えて、いきなりテストをして、「六十点だったよ。もっと、がんばろうね」と言ったに過ぎない。
 Aは、教えて、個々にさせて評価し、評価に応じて個々に修正、再思考、反復等をさせて再評価することで学び取り身につける機会を設け、学びを自覚させる。場合により一斉でこの指導をする。

 子どもが教えられたことについて、学び取る機会をもっと設定する必要があるのではないか。算数には練習や確かめ問題があり、子どもはそこで学び取り身につけていく。国語に、それにあたるものがもっと必要ではないだろうか。 物語文の読み取りで学習場面を通読させ、発問をし、発言を受けて板書をするだけでは、個々の子どもが学ぶ機会がないように思う。発問し、個々にノートに書かせ、他の子どもたちの読みや先生の教えを受け、それをノートに書いたり関連箇所を読んで考えたりするなど、自分のものにできるような学習機会を設定してやりたい。
 話し方を学ぶ授業で、自分ができなかったことや新しく知ったことに気づかせ、終末に◎○△で自己評価させるだけではなく、○△を補うために、どうのように話せばよかったのかを「 」に実際に書かせるなど、今までの自分の力を補う学習をして身に付く学びの機会を設定してやりたい。

 言うと指導は違う。意図があり目標をもち、それに応じた学びを自覚する子どもの姿を追い求めたとき、言うのではなく指導ができるのではないか。
(能登川町立能登川西小)