本棚  なんのための日本語
加藤秀俊 著 BK1
中公新書 2004.10 780円
なんのための日本語

 著者は日本語の「ユーザー」としての日本語論であるという。国語学の専門家ではない視点からの論考がおもしろい。

 明治31年に「國語」ということばができて、それ以降「国語」と「日本語」が併用されていることに著者は異議を唱える。文化庁では、母語としての日本語の場合には「国語」、外国人が学ぶ場合には「日本語」と使い分けているという。しかし、「国語」という言い方からは、国家があって言語があるという印象を与えてしまう。実際にはどこの国でも多言語状態であり、その中で母語や公用語の教育がなされている。

 日本の「国語教育」は文学教育にかたよっていて、一人前の「日本語つかい」になるための「日本語教育」ができていない。外国語として日本語を学んだ人の方が、しっかりした日本語を使うようになるかもしれないという。

 日本語の表記は「漢字かなまじり文」だと思っている。しかし、ワープロソフトを使ってローマ字入力をしているとき、日本語をローマ字表記しているのではないのか。われわれは「いつのまにやら、ローマ字で日本語を処理するようになっていたのだ」と指摘されて初めて気づいたことである。このような文字処理のしかたは日本語独特のものである。(常諾真教)