巻頭言
ベトナム語と大阪弁
宮 本 和 彦

 日本に戻って四年の月日が過ぎた。七年前、私は妻と二人、初めてベトナムの地に降りた。日本人学校に勤務しながらの生活が始まった。

 ベトナムでの三年間、二人ともベトナム語を頑張って勉強した。勉強して何が楽しかったのかと言えば、覚えたてのベトナム語を実際に使ってみて通じた時、それだけでベトナム社会に溶け込んだ気になったものだ。最後までベトナム人の流暢なべトナム語ははっきりとは聞き取れなかったが、それでも会話の回数が多くなれば多くなるほどベトナムでの生活が楽しくなっていったし、ベトナムを好きになれた。

 ベトナム人も英語で「グッドモーニング」と言われるより、ベトナム語で「シンチャオ」と言われた時の方が、何倍も嬉しそうな表情をこちらに向けてくれた。日本人も同じだろう。外国の方から日本語で「オハヨー」と言われた時の方が何倍も嬉しい。
 その国の、その土地の言葉は国境を越えて、心をつなぐ架け橋になるんだと実感した。また、郷に入れば郷に従え、その土地の言葉を使うことは一つの礼儀なのかもしれないとも思った。

 一方、ベトナムでの日本人社会の中で、私は大阪弁に飢えていた。周りの日本人の多くは、大阪弁を喋らなかった。関西出身者がとても少なかった。日本人学校の中で一人だけ大阪弁を話す子がいて、心の底から愛おしく思えた。
 あくの強い大阪弁が、全部の日本人に快く受け入れられることはないという思いから、標準語のようなものを話そうと、変な言葉を話す自分の姿がおかしかったが、知らず知らずのうちに、クラスの子どもたちが大阪弁に近づいてきていることもおかしかった。
 言葉というものは、本当に不思議な生き物だと思った。
 普段の生活の中で何気なく使っている自国の言葉、その土地での言葉、それを使わない世界に入ってみて初めて、そのありがたさや愛着を感じた。

 ベトナム語の話も大阪弁の話も今は昔、懐かしい思い出だ。
 今は何の遠慮もなく大阪弁を使う毎日だが、一生懸命勉強したベトナム語を話さなくなって四年余り、もうほとんどベトナム語を忘れかけている自分の記憶力の悪さには、ほとほと情けなくなる。
(大阪府吹田市教育委員会)