「なだらかな接続」を考える
森  邦 博

 幼稚園教育の現代的な課題の中のひとつは、幼小の「なだらかな接続」である。本研究所の「幼稚園教育研究員会」は、幼稚園と小・中学校の先生方で構成されている。前述の課題を意識して、特に言葉の力の育成に光をあてての委員会である。

 第1回委員会の日は、幼稚園の保育と小学校の生活科の授業とを参観して、意見を交流する計画になっていた。学校と幼稚園の先生が同じ子どもをそれぞれで記録し考察してそれを交流することで、幼稚園の教育のあり方、学校の教育のあり方、そしてその接点を明らかにしていこうと意図したものである。
 ところが当日のアンケートを読むと、「何を書くのか」「目の前の姿にどんな学びがあるのか」「活動の意味や価値は何か、いや意味や価値があるのかどうか」との疑問や、「保育でいう『学び』とはどんなものなのか保育を参観しても見えないのだけれども…」と悩みの声が聞こえてくるものもあった。特に小中学校の先生に抵抗感が強かった。

 そこで、当日の幼稚園の指導案と小学校の指導案とを読んでみた。A4判綴りの小学校生活科の指導案との大きな違いに目がいった。指導案の記入形式がまったく違う。形式の違いは内容の違い、指導観の違いを映している。
 幼稚園の指導案はB4判の用紙の大きなスペースに「どんな場所で、どんなものに働きかけて、どんな子ども相互の関わりが起こるだろう、そのとき保育者はどうするか、またどんな願いをかけているか」と、遊具の場所では、テーブルの周りでは…と、園内の活動スペースごとに記述してある。ここからこんなことを学んだ。
・学校教育がめあて先行、指導意識先行に偏り過ぎるとき、それが子ども観察(理解)の壁になることがある。
・だから、子どもの活動する姿に意味を見出し、見抜く目を持ちたいものである。
・そのためにも、複数の目で見、そこからの情報を交流することを大切にしたいものである。

 幼稚園・小学校の「なだらかな接続」には、互いの指導観の学び合いが不可欠ではないか。小学校の先生が幼稚園の指導案を取り入れて書いてみるのもいい研修になるのではないか。ちょっと無責任なアドバイスを半分本気でしてみたくなった。そんな感想を持っていると、第2回目のアンケートに「少しずつ大事なことが見えてきました。私なりに考えてみました」と書いてくださった先生がいる。先生方も悩みながら望ましい接続のあり方を探っている。
(大津市教育研究所)