第16回「新しい国語の授業」研究会
石井睦美先生の話に学ぶ 〜すてきな出会いの中で〜
伊 庭 郁 夫

 第16回「新しい国語の授業研究会」では、多くの学びがあった。  その中から、「新しい友達」「五月の初め、日曜日の朝」など複数の教科書に、教材が掲載されてい る石井睦美先生の話を紹介したい。

 まず、本を読んでもらう環境の中で育ってこられたという点。本を読んでもらうのが大好きで、よくお父さんに読んでもらったと話された。グリム童話やアンデルセン童話から、平家物語までジャンルも幅広い。幼少の頃から、本を読んだり読んでもらう環境があった。
 お母さんからは、日記を書くコツを教えられたそうだ。「今日、私は」を書かないということである。例えば、「今日、私はヒカリちゃんと遊びました」と「ヒカリちゃんと遊びました」では、インパクトが随分違う。

 5年生の時転校される。感想文は代表に選ばれる位だったそうだ。しかし、運動等は苦手だと話された。この時の先生から「国語ができるんだから何でもできるね」と励まされ、自信を持って他の勉強もよく理解できるようになったという話であった。

 高校では、野地先生との出会いがある。春休みの宿題が、三木清の「人生論ノート」と「立原道造詩集」であったそうだ。ここで、詩に魅せられる。授業初めの5分間に先生がされた詩歌の話が印象的であったと話された。「幸せを分けいるように握りいし南京豆を少女に与ふ」(寺山修司)の詩を紹介して頂いた。試験には出ない5分の時間であったが、素敵な時間であったという。実は、この5分のために、先生は毎回2時間の準備をされていたそうだ。今から3年前、先生が退職される時に最後の詩の授業をされたそうだ。師弟のすばらしい関係が感じられる。15歳の頃、言葉の感受性がとぎすまされ、言葉に対する自覚を持たれたそうだ。

 また、大学時代にも運命的な出会いがあった。中村真一郎先生である。立原道造とのつながりである。四季で第三の新人と言われた方である。この先生との出会いで「一流のものを見る」という経験を積まれる。更に、中村先生の「編集者になるかい」という言葉で、編集の道を歩まれる。人に会うために勉強し、人に会ってまた学ぶという楽しい時期を過ごしたと述懐された。26歳頃から、書く活動も始められ現在に至っておられる。

 話をお聞きしていて、素敵で運命的な出会いをたくさん持たれていると実感した。私にとっても幸せな石井先生との出会いであった。
(高島市安曇小)