授業改善への一歩A 「音読いろいろ」の授業から
吉 永 幸 司

1 「こわれた」を考える
 谷川俊太郎の詩「こわれたすいどう」は二連、音の繰り返しに特徴がある。
 音読をすると「ピッタン テトン テッタン ピン」を注目するが、音の部分を空白にすると「いくらしめてもとまらない」に目が向く。「よるになっても」「あさになっても」をつなぐと生きているという気持ちが伝わる。音は水道の自己主張かもしれないとさえ思えてくる。
 ここに着目して「こわれた」から思い浮かぶことをあげさせた。
C 水道がだめになった。
C もう使えない。
という類の発言が続く。故障、廃棄というイメージが定着するのをさけて、水道の命、水道の心臓の音と考えてみようと働きかけた。
 子どもたちは素直である。生きているということを前提にした音を考えるようになった。

2 大小・速さを変えて読む
 「ピッタン テトン」から始まる音の部分を空白にして子どもたちに考えさせた。
「ポタポタポタ」から「ジャージャー」まで様々な音が生まれた。
 最初に指名をした子は「ポタポタポタ」であった。
 黒板を背にして読ませた。変化のない音読であったので
「ポタポタポタ」を速く読んでごらん。」
と、新しい読み方を提案した。教室におや?という雰囲気が生まれた。読んだ子も、教室の雰囲気を察して顔が緩んだ。

「もう一つ違うやり方を教えてあげようか。」
と言って返答を待った。教えてほしいという答えだったので
「今度は、ポタの初めは大きく読んで後になるほど小さく読む」という方法を示した。
 また、教室が動いたような感じがした。
 ここで指導をしたことは声の大小であり、読む速さや間の取り方であった。同じ言葉を入れても読み方で変わるというのが子どもに響いた。次から発表した子は明らかに様子を思い浮かべて読んでいることが確認できた。

3 詩を代わりあって読む
 自分でイメージしたように読んでもらえるかどうかを話題にした。自分が「こんな読み方をしてほしい」と注文をつけて読む学習である。ややもすると、発表をしたいという気持ちだけが先行することを反省して、友達の音読と自分のイメージの距離を話題に話し合うのである。聞く力は確実にそだったように思う。
(京都女子大学)