「新しい国語実践」の研究会千葉大会に参加して
森  邦 博

 昨年末には立て続けに学力調査結果の報告が新聞紙上をにぎわした。その見出しの多くは、日本の子どもの学力が国際的に順位を落としていると、取り上げている。また、学ぶ意欲の低下や学習時間の減少を危惧するものも多い。学校はしっかりと学力を付けているのか?と不信感が増幅されるのが怖い。新聞を読みながら、私の中で、つい去年の冬のこんなことがつながった。

 中央小学校で3年生と一緒に給食時間をすごしていた時のことである。
「私、高校へ行かないわ。中学校卒業したらすぐ働くわ。」
とA子。するとB子は、
「私は、大学まで行くわ。その上の大学も行って、…。」
A子は、
「なにそれ、大学の上もあるん?」
B子は、
「お母さんがそのほうが有利やって言ってたもん。」
どうやら受け売りらしい。私は、
「どっちにしろしっかりと勉強しなくちゃね。」
と、無難なことをのんきに言っていた。するとそのやり取りを聞いていたC子が、
「それは大変! 私も塾へ行って勉強しなくちゃ。」
と口を挟んだのである。私は思わず、
「何で?」
と尋ねた。すると、C子は、
「だって、塾へ行かなくちゃ勉強できるようにならないって、お母さん言ってたもん。」

 私はのんきではいられなくなった。「勉強イコール学校」でも、もちろん、「勉強イコール家庭」でもなく、「勉強イコール塾」というのがこの子達の(そしてこの子達のお父さん・お母さんたちの) 当たり前の考えになっているということ。いつの間にか学校は勉強で力をつける場所でなくなっている。点数を取るのが勉強だとすると、テストの練習や繰り返しの訓練をさせてくれる塾の価値が大きく見えるだろう。それに対して、学校の授業はこういう大事な力をつけています、と説明できるだけの答えを出しているだろうか。学校教育への信頼を授業で取り戻さなければならない。

 こんな思いを持った。そして、千葉大会を迎えた。「新しい国語実践」の研究会千葉大会で、私は、「読むこと・説明的文章」の分科会の司会をした。
 どの分科会でも同じだったと思うが、この分科会の4本の提案のどれにも流れている実践者としての 教師の思いは、「子どもに基礎的基本的な言葉の力をしっかりとつけたい」の一言に尽きる。参加者もまた、本当にその実践とその評価で子どもの言葉の力は伸びたのか?と厳しく問うている。
 C子の口から、
「私も、学校でしっかり勉強しようっと!」
という言葉が出るようにしたい。
(大津市教育研究所・科学館)