「新しい国語実践」の研究会千葉大会
学子どもが納得する授業
廣 瀬 久 忠

「子どもが納得する授業をすることは、子どもの教育に責任を持つことである。」
「新しい国語実践」の研究会千葉大会に参加して、心に刻んだ強い思いである。説明文の読みの分科会に学んだ。

 滋賀の山田定子先生のきめ細やかで重厚な低学年の実践に頭が下がる。低学年の子どもに力をつけるには、「繰り返し、繰り返し、そしてまた繰り返す」指導が、子どもの力を高め、子どもの自信につながるとの提案。
 しかも教師として、クラスの全ての子どもに基礎的基本的な力をつけたという責任のあらわし方が子どものノートからびんびん伝わってくる。山田学級の子どもの幸せが羨ましく、うれしい。

 論理的な文章を理解して、論理的に表現することをめざした群馬の井田明子先生の実践は、授業と授業をつなぐ細やかなノート指導の上に国語授業が躍動していた。
 学習者をどう見守っているのかがわかる。子どもの学習が、
「どう位置づけられ」「どう価値づけられ」「どうはげまされ」「どう認められ」
次に学ぶ子どもの意欲につなげるのかがわかる。参会の先生から、
「そんなこと、いつされているのですか。中学校現場にそんな時間はないでしょう」との質問に、 「やるしかない」「やるしかない」と二度呟かれた。子どもの可能性をあずかる教師の使命感である。

 群馬の中島弘道先生は、「感性とともに生き、論理性を身につけさせることの必要」を強く説かれた。 子どもと対話しながら進めるべき学習の方向を生み出す温かい教師の姿が望まれるのである。
 北海道の渡辺知樹先生も、「人が生きる評価が大切だ。授業が終わった後、教師からの子どもに向けての振り返りが必要だ。『授業中発言はなかったけどAさんの考えはよかったよ。発言してほしかったな』のように人がよりよく生きるモニタリングの評価が必要だ」と説かれた。
 中島先生も渡辺先生も子どもの心に触れ「ことば」の学びをさせなさいとの教えである。

 子どもが学びの流れを納得して学ぶ国語教室が必要である。
 子どもが「見通しを持つ」より、もっと学習の流れに参画する「流れを納得する」学習である。
 それには、十分な教材研究をふまえ、教師と子どもが教材文を共有し、「ことば」を紡ぐ授業を構築したい。
 子どもが納得する授業は、教師が納得する授業のはるか先にある。
(湖南市立石部南小)