私の授業つくり「自分で読んで」
吉 永 幸 司

 単元「自分で読んで」は、「きいちゃん」(山本加津子)「生きる」(谷川俊太郎)「言葉の橋」(宮地裕)の3編で構成している。そして、学習者へ「自分の力で学習しましょう」「今までの学習を生かして取り組んで下さい」と呼びかけている。私だったら、次のような授業がしたい。

(1) 3編を読む。感想を交流する。
 どの作品も卒業を前にした子供達に読ませたい。一斉形態学習として読ませる。読んだ後の感想も知りたい、交流させてやりたい。
 「好き」でもいいし、「心に残った」でもいい。自分の言葉で表現しているかどうかを大事にして、まず安定した学習の場作りを進めていく。

(2) 「言葉の橋」を読み合い文章構成を学ぶ。
 「冬は」(高見順)「シャボン玉」(ジャン・コクトー)の2編の詩を読み鑑賞するのも深みがある学習であるが、鑑賞文の筆者のメッセージも奥が深い。どこまで自力で考えることができるか分からないが、音読や視写という学習活動を通して、文章を鑑賞させる。その後、文章の構成に目を向けさせる。
 最初に詩が示され、次に鑑賞文、最後に、詩に対する考えという3つの構成を丁寧に指導し、理解をさせる。詩の鑑賞文は100字くらいが目安になることは視写の時に気づかせておく。
 一般的な考えの後、「しかし」という接続詞で自分の考えを述べていることにも気づかせたい。
 鑑賞文の構成は、
 ○作品
 ○鑑賞文(作品の概要)
 ○自分の考え
という形式にするよう共通理解を図りながら、先ず、「きいちゃん」「生きる」を書かせてみたい。
 さらに、余力のある子には、詩を紹介したり、自分で見つけさせたりして、読むと書くを関連させてひとまとまりの文章を書かせるように指導に幅を持たせるが、欲張って広げる方向に急がないよう留意する。

(3) 鑑賞文の発表会をする。
 先ず、グループで発表会をする。グループという設定は、発表の機会を多くしたいという意図からである。文集にして回覧するという方法もあるが、原稿として書いたものを発表する経験もさせたいからである。
 書いた原稿を読むのでなく、話し言葉で部分的に修正を加えていったり、原稿を読むことを前提に話しをする等の形式を広げるために、手本を示すことから始める。手本の原稿は、発表を苦手とする子の原稿を借りる。
 グループ発表の後、全体で発表をする等、学習のまとめへ向かうようにする。
「きいちゃんは、きいちゃんとして生まれ、きいちゃんとして生きてきました。これからも、きいちゃんとして生きていくのです」
「生きているということ、いまどこかで兵士が傷つくということ」
等の表現を、どう受け止め、どんな言葉で語るのだろうか。
(京都女子大学)