巻頭言
子 ど も の 目 に 映 る も の は
石 川  等

 「子どもの目に映るものは何か。」
 これがこの数年間、私の中に常にある想いである。
 このような想いを抱き始めたのは、数人の子どもが書いた学習シートとの出会いからだった。

 当時の私は山梨大学の附属小学校に勤務して二年目。国語科を研究教科とし、目前に迫った公開研究会の準備を行っている時であった。扱っていた教材は「たんぽぽのちえ」(光村図書二年上「たんぽぽ」収録)。低学年の国語科指導におけるキーワードでもある「順序」をどう指導していくか考えていた。「たんぽぽ」の生長過程を、本文の言葉を使って確かめながら読み進めるというオーソドックスな指導計画を立てて指導を行う中、たんぽぽの生長過程を絵で描かせたときにそれは起こった。
 子どもたちが描いた「たんぽぽ」の生長過程は二つに大別された。ひとつは、「花の軸が倒れる→起きあがる→綿毛が開く(綿帽子状に丸くなる)」というもの。もうひとつは「花の軸が倒れる→綿毛が開く(綿帽子状に丸くなる)→起きあがる」というものであった。
 勿論、正解は前者であるが、一言で後者を「誤った読み」として片づけることはできなかった。教材文を読む限りにおいて、「一本一本の綿毛ができる」ということと「一本一本の綿毛が開いて綿帽子のように丸く白い固まりになる」ということの区別が簡単にはできにくいということがあったからだ。
 公開研究会当日、私はこの二つの生長過程の図を子どもたちに提示し、どちらの「順序」が正しいのか読み取ってみようと投げかけた。

 このことがきっかけとなり、子どもの「学び」について一段と興味を持つようになった。例えば、文学教材を指導する時にも、「子どもたちは、この文章を読んでどんな『作品世界』を自分の中に構築しているのだろうか。また、それを変容させるような指導はどうすればよいのか」といった想いを強く持ちながら指導に当たってきた。指導中に「へえー」「あっ、そうか」という言葉が子どもたちの口をついて出ることが、今では楽しみになってきている。彼らの中に何かがストンと「落ちて」くれることを願いながら、日々の指導を行っているが、なかなかそう簡単にはいかない。日々挑戦の連続である。
(山梨県甲府市立山城小学校教諭)