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ケータイを持ったサル 「人間らしさ」の崩壊 著者は霊長類研究所に勤めるサル学者である。その著者が「日本人はサル化しつつある」という。 地べたに座ること、屋外で平然とものを食べること、靴のかかとを踏みつぶして歩く「べた靴」、ルーズソックス、電車内での化粧やケータイでの会話など、若者に多く見られる行為は、『家のなか』感覚でいたい、『家の外』へ出ること、つまり公共空間に出ることの拒絶の表れであるという。 『家の外』へ出ることに恐怖を感じると「ひきこもり」になる。しかし、自分と仲間以外には無感覚になれるから、公共空間でも『家のなか』感覚でいられるのである。 一方、サルには人間社会のような公的状況というものはない。群れと言っても生まれてからずっと同じ仲間で過ごす私的領域であって、その意味では「家のなか」と同じである。 これは、「子ども中心主義」の家庭に育った結果であるという。そこでは、母親が子どもに一方的に濃厚な情熱をそそぐ、母子密着型の子育てが行われ、父親の居場所がなく、その影響力は希薄化していくのである。このような子育てもサルと同じだというのだが。 第1章 マザコンの進化史 第2章 子離れしない妻と居場所のない夫 第3章 メル友を持ったニホンザル 第4章 「関係できない症候群」の蔓延 第5章 社会的かしこさは四〇歳で衰える 第6章 そして子どもをつくらなくなった! 帯に記されているように、目からウロコの家族論・コミュニケーション論である。(常諾真教) |