巻頭言
長 瀬 拓 也

 父は、中学校社会科の教師だった。厳しく、怖い先生ではあったが、「悪ガキほどかわいい」が口癖の生徒を思う気持ちで溢れていた人だった。

 私に対する教育は厳しいもので、「勉強しなさい」は父の台詞だった。印象深いのは、夏休みの自由研究での出来事である。ふとしたことで地域の史跡などを調べる事になったのだが、それに父が積極的に関わり、父と子のフィールドワールドに変わった。その時父から教わった資料集めの仕方やコメントの書き方などは、今の自分にとても活かされているが、当時は、よく父に叱られ、泣きべそをかきながら、調べ、まとめていたことの方が多かった。
 中学校ではよくいじめられた。いじめは深刻になり、父がその解決に乗りだしたことがあった。
 そうした姿から、父の「仕事」に対して関心を持ち、そこから自分の目指す仕事、将来の目標へと変わっていった。

 そんな父が白血病という難病におかされた。日々病魔によって弱っていく父を見ていく中、私自身の生命も失われていくような気がした。言葉や手紙の一つ一つにこめられた父の生きようとする姿に、実は私自身が一番支えられていたのかもしれない。

 父の死。

 春、桜がとてもきれいな時だった。休みあけの定期試験を受け終わった直後に、父危篤の連絡を受けた。まるで、私の試験が終わるのを見届けたかのように父はこの世を去ったのである。
 位牌を持って家路につく時、そこは父が学校へ出勤する時と同じ道だった。桜が何本もその道を包みこむようにたっている。そして風にふかれて、桜がきれいに散っていく光景があった。その一瞬、涙もなく、ふっと、軽い気持ちになった。まるで、父が大好きな学校、大好きな生徒たちに会いに行くような気分を追体験したのである。父の教育に対する愛を感じることができ、心から教師になりたいと思った。

 大学に入り、偶然に偶然が重なるような形で、吉永先生をはじめ、多くの先生方と出会い、学ばせていただくことが出来ています。どこかで父が見守っているような気がしてなりません。この思いをいつまでも忘れずに、今後も学び続けていきたいと思っています。
(佛教大学教育学部4回生)