巻頭言
話 し 言 葉 と 向 き 合 う
河 合 冬 樹

 昨年は、サッカーのワールドカップで盛り上がった年である。そして、私の地元船橋では、市立船橋高校が、この冬高校サッカー日本一に輝いた。アナウンサーが、「ゴール」を絶叫し始めたのはいつ頃からだっただろうか。この絶叫音声をスポーツ紙は、文字化した。『ゴーーール』『ゴォール』これは、音声の文字化である。この文字を見ただけでその場の臨場感が伝わってくる人もいるだろう。しかし、あの絶叫アナウンスを聞いたことがない人には、この文字のイメージ化はしにくい。もし、あの絶叫アナウンスがなかったとしたら、このような表記はおそらく生まれなかったはずである。最近、テレビのバライティー番組で、出演者の話し言葉がそのまま字幕スーパーとして表示されることがある。ユニバーサルデザインとして耳の不自由な方にも楽しんでもらえるという面もあるそうだが・・・。

 これまでも話し言葉の書き言葉化は、座談会、授業記録などに活用されているが、話し言葉どおりに文字化されたものはあまりない。それは、あくまでも話し言葉そのものを分析することが目的でないため、読み手がわかりやすいよう少々修正が加えられているのである。スピーチなどは、ビデオに撮り、見直すことによって話し言葉を振り返る授業例が紹介されているが、話したとおりに(「えー」とか「あのー」とか言いまちがい、主述のねじれなども含めて)文字化してみると、話し言葉の特長がつかめておもしろい。確かに大変な作業ではあるが、1時間の授業すべてを忠実に文字化してみると、話し手の癖やそのときの心理までが垣間見える。私も、自分の授業を文字おこししてみたが、実にたくさんのことがわかった。

 ある子のスピーチを忠実に文字化して読んでみると、わかりにくいものであった。しかし、そのときのスピーチは、その子の生きた言葉がいつまでも頭に残っていた。一方、実にしっかりしたスピーチを聞いたときのことだが、文字おこししてみると見事な作文であった。しかし、あんな立派なスピーチだったのに聴いた後の印象はうすい。私たちは、話し言葉を使う場面では、常に話し言葉と向かい合うべきである。単なる音としての言葉ではなく。今は少なくなっていると思うが文字を音声としてなぞるようなことはさけたい。たとえ、式辞、答弁、挨拶、公開研究会の研究発表であっても。
(千葉県史料研究財団)