本棚  なぜ教育論争は不毛なのか 学力論争を超えて
刈谷剛彦 著 BK1
中公新書ラクレ 2003.5. 760円
なぜ教育論争は不毛なのか

 冒頭に、同じ著者の別の著書について書かれた外岡秀俊氏の書評の一節が引かれている。

 どうもおかしい。常々そう思いながら、問題の所在を正確に言い当てられず、心にくすぶり続ける疑問がある。教育改革もその一つだ。受験競争の弊害をなくそう。子供にゆとりを与え、学習意欲を高めよう。かけ声はよかった。だがこの十年の改革の末に私たちが目にしているのは、基礎学力や学ぶ意欲の衰えと、格差の拡大ではなかったろうか。(p3)

 著者は、社会学的な立場から論争に加わりながら、「問題の所在」を明らかにしようとしてきた。一つは、基本となるデータが十分にないままで教育政策が進められてきたこと。また、一人ひとりの子どもの問題、個々の教室や学校での実践の問題と、制度としての教育システム全体の問題とが区別されずに論じられてきたこと等が指摘されている。

 終章では次のように述べている。

 「ゆとり」と「生きる力」をめざす教育は、予算的裏づけもなく、条件整備も不十分なまま、「新学力観」や「生きる力」といった抽象的な学力観の転換を軸に、受験教育からの訣別をめざした。そして、理想の前で、実際に何が起きているのかさえ、十分に把握することなく改革が行われた。(p271)

 序   教育の論じ方を変える
 第1部 学力低下論争の次に来るもの
 第2部 なぜ教育論争は不毛なのか メディア篇
 第3部 なぜ教育論争は不毛なのか 行政・政治篇
 終章  隠された「新しい対立軸」をあぶり出す
(常諾真教)