▼灯火稍(ようや)く親しむべく簡編巻舒(かんぺんけんじょ)すべしーー韓愈が子供の符に、新涼の秋、読書して学問にはげむように勧めている句とか(『中国名言名句の辞典』小学館)。「簡編」とは書物。古く書物は木簡や竹簡をひもで編んでいたのでこのように言うそうである。

▼読書の時代に入ったかのように、各学校で読み聞かせ等の読書指導が実践されている。かつて、読書を全校的に取り入れようとしたのに賛成が得られなかったという時代もあったことから考えれば、好ましい方向として大いに推進したい。特に「読書を始めてから、生徒が落ちついて学習をするようになった」という報告を聞くにつけ、読書のもつ力の大きさを感じる。

▼かつて、子どもが手にする新刊には、できるだけ目を通しておこうと考え、勤務の帰りには書店めぐりをしたことがあった。2か月か3か月くらい毎日のように歩きまわった。その時、主人公の活躍する舞台が時代を先取りしていることに驚いた記憶がある。

▼読書指導の始まりは、子どもと本の距離を縮めるということであろう。そして指導者は、子どもの本に親しみを持つということであろうか。

▼先に引用した書物の中に「読書の楽しみ、何れの処にか尋めん、数点の梅花、天地の心」(朱熹)というのがあった。困難に負けず行ってやっと立派な資質を培うことができるという意味に納得。(吉永幸司)