指 導 力 を た か め る
中 嶋 芳 弘

 10年ほど前のことになるが、海外教育事情視察でアメリカ合衆国に行かせていただいた。いくつかの学校を視察した中で、現地の学校長から伺った話をこのごろふと思い出すことがある。

 A校では、国語(英語)の授業が行われている教室に、50人を数える生徒が静かにノートをとりながら年輩の女教師の講義を受けている場面に出会った。
「今は、20名前後の教室が多くなりました。それとともに、教師の指導力が低下しています。しかし、この先生の授業はおもしろくてよくわかるので、多くの生徒が彼女の授業を選択しているのです。」
と学校長は話された。彼女は言語指導の教師としての高い専門性と話術を伴う指導力で多くの子どもたちの心をつかみとり、選ばれていたのである。
 この校長の示された課題、つまり、「教師の専門性と指導力を高めること」は、日本の教育の今日的な課題ではないだろうか。

 学級定数は時代を追って少なくなっている。多くの子の中の一人ひとりを見すえ、つぼを押さえた指導と支え合い高め合う学級作りによって、一人ひとりを伸ばそうと努力してきた時代は過去のものになろうとしている。
 しかし、時代が移ろい、指導法がどう変わっても、それは必要である。プール指導の季節、多くの子を声の通らない場所で巧みに教え、力を引き出している体育科の教師の姿を目にする。体育科の実践を通して鍛えてきた目で児童を見すえ、体の動かし方のつぼを押さえて教えていく。子どもたちはできるようになる。できるようになるから彼の声を聞き、指示に従って動き、仲間と相談する。このことは、どの教科でも言えることである。教師一人ひとりが自分を伸ばし「国語ならあの先生」「社会ならあの先生」「算数ならあの先生」……と言われるような専門的な見識と指導力を身につけていくことが大切なのである。

 少人数での学習は、児童間の影響の与え合いの絶対量が少なくなる。その分、教師の専門的な見識と指導力がそのまま指導効果となって表れる。つまりこれまでよりも高い指導力が教師に求められているのである。総合的な学習の時間は、一人ひとりの児童が身につける力を見極めていかなければ、活動あって学びのない這い回りの時間になってしまう。少人数指導も、ただ、人数が少なくなれば指導が行き届くというものではない。その教科としての活動が1時間1時間確保され、児童の活動がしっかりと見取られていてはじめて児童の力となっていくのである。
(彦根市立旭森小)