巻頭言
こ れ か ら の 国 語 教 室 −五十年前の国語教育論から−
藤 田 慶 三

 「新しい学習では、生徒の学習が中心になる。生徒の学習の始めから終わりまでをみて、その活動と効果を正しく価値づけなければならぬ。−− 全体を見通し、見続けて、合理的に価値判断するこれが評価である。−− 生徒が中心となり、自主的に活動を営み、それを、効果あらしめるように合理的に評価する −− 自由主義、児童中心主義だけでは学習活動としての求心力を十分に発揮できない。−− 単元学習の内部をのぞいてみる。 −− @活動の流れを一貫しているのは、興味(関心) A −− 目的がなければ興味は持続しない。 −− 単元学習にとって、大切なのは、ゴールの見定めで、 B −− 目標を −− 自覚の薄い生徒、できない生徒には暗示や指示をしてや(る) C分担して調べるか、共同で話し合うか、どの部分は個人作業にするか。どういう方法でやったら、目標に到達できるか −− 教師と生徒が協力して計画し、−− D教室内に限らず、一斉指導に限らない。思い思いの個人作業になる場合もある。−− 変化の多い活動 −− 目標はしっかりしているが、活動はダイナミックで、柔軟性に富む。 −− オープンコースで −− 学習は幅広く自由で −− E最も多く用いられるのは、話し合いで −− 話し合いによって、秩序が保たれる。 F話し合いによって、まとめたり発表草案を練ったりする。さらにいろいろなものを作ったり、劇に発展したり、個人の創作をしたりすることもある。 −− このように、学習指導は、生徒の活動を中心に展開する −− その柔軟な、自然な流れを評価する。」(昭和二十四年発行、倉澤栄吉著、「国語単元学習と評価法」、−− 部分省略)

 長い抜粋になったが、お許しいただきたい。先日、東京都青年国語研究会の五十周年記念刊行本を送ったある先生から、「随分やっつけられましたが、倉澤単元学習の勝ちですね。」とありました。そこで、半世紀前に書かれた単元学習論の一部を引用してみました。読者が考える、これからの国語教室のあるべき姿と比べながら読むと、その新鮮さが感じられると思いました。

 私の所属する青国研でも、埼玉の「野っ原詩の会」でも、国語教育学会でも、吉永先生のご実践のすばらしさに敬服し、ご活躍に感謝しております。「きざなみ国語教室」並びに、滋賀の国語教育の発展を祈念しております。また、全小国研滋賀大会のお世話役、大変ご苦労さまです。
(東京都青年国語研究会)