巻頭言
あ る 読 書 指 導
秋 山 達 也
 身体をこわしたので、夏休みのほとんどの時間を自宅で過ごすことになつた。写真撮影で休日は自宅にいたことがなかったのだが、読むものさえあれば外に出られなくても一向に困らない。

 私が本好きになった理由は父の影響だろうが、小学校の担任の採った<方法>も大きい。
 6年生の1学期、教室に全員の名前入りの大きなグラフ用紙が貼られた。1冊読むごとに書名を記したラベルを名前の横に貼っていくのである。
 読書が競争になった。たくさん読んだ者とそうでない者が一目瞭然になった。競争は激化する。

 当時私は長野市の中心部にある小学校に通っていた。その半年前まで住んでいた岡山の田舎での子ども達とは全く違っていた。私と友達の数人は、県立・市立図書館の土曜午後の常連になった。学校の図書館では飽き足らなくなっていた。信州大学の図書館にも足を運んだことさえある。さすがに貸し出しを断られたが、それでも特別に閲覧だけはさせてもらえた。

 競争の激化にともない、この〈方法〉は夏休み前に突然中止になる。低学年が読むような易しい絵本で冊数を稼ぐ子、読んでもいない書名をラベルに書いて貼る子も出てきた。保護者の間で問題になっていることも母から聞いた。
 確かにいい〈方法〉ではない。
 教師である今その〈方法〉で指導しようとも思わない。

 しかし、あの〈方法〉は私にとってはよい〈方法〉であったのだと思っている。
 戦記物に心躍らせていた私は、藤原ていの『流れる星は生きている』に出会った。普通の人々にとって、戦争がいかに悲惨だったのかを具体的に知った。また、たかしよいちの『埋もれた日本』によって考古学に魅かれた。恐竜ものからの脱皮だった。物語よりもノンフィクションを好む傾向はこの時に始まっている。そして、具体的な事実を大切にするという姿勢は、小学校の国語教育を研究する今になっても生きていると思う。

 ある一時期に、集中して、片っ端から読んだという経験が、現在の日常的な読書に繋がっているに違いない。今の子ども達も、食事をしたり、眠ったりするのと同じように、自然に本を手にすることになればいい。ただし、私の担任が採ったのとは違う〈方法〉で。私はそれをめざそうと思う。
(善通寺市立吉原小学校)