巻頭言
国 語 科 教 育 の 独 自 性 と は
井 上 俊 明

 数年前まで、私が住んでいる佐賀県では多くの学校が校内研修として国語科の研究に取り組んでいた。しかし、今ではほとんどの学校が総合的学習に変わってしまった。研究会を催しても教科の研究会にはなかなか人が集まらないで苦労している。一方、「総合」ということばがついた研究会には、たくさんの先生方が勉強に集まってくる。これは、佐賀県だけの現象ではなく、日本全国どこでも同じような状況ではないかと思われる。

 そこで、佐賀県小学校教育研究会国語部会では、「国語が楽しいと総合学習がうまくいく」というキャッチフレーズで、7月26日に夏季研修会を開いた。しかし、そこで課題としたかったのは「総合、総合」と叫ばれている今だからこそ「国語科教育の課題を探る」ということであった。
 吉永幸司先生には佐賀までお越しいただいて、国語科の独自性とは何か、模擬授業とご講演をしていただいた。

 国語科は、総合的な学習やあるいは、他の教科の等の道具的意味で基礎・基本であるという考え方もある。
 しかし、ことばを対象とする国語科独自の教育内容も大切にしたい。たとえば、それは、認識能力であり、情意・情感など感性に培う側面である。

 吉永先生には、体育館で4年生の音声言語の授業をしていただいた。子どもたちは、周りを多くの先生に囲まれ、緊張して授業に取り組んだ。いつもとは違う雰囲気に子どもたちは戸惑っていたが、吉永先生の授業は、「伝え合う」技能を的確に押さえながら、子どもたちの話し方、あるいは聞き方のよさを取り上げ、お互いに認め合わせ「伝えよう」とする心を育もうとされていた。

 ご講演の中でも、豊富な実践をもとに「伝え合う力」をいかに育てるかという示唆をいただいた。しかし、「すごい」という一言が生徒に与えた感動を紹介した社説を紹介していただいたように、その根底にはことばが自己を育むうえでどんなに大切であるかという思想が流れていたように思う。

 伝達の道具として、ことばを的確に伝えることができる児童を育成していくことも大切である。しかし、それだけでなく「伝えたい」「分かり合いたい」と思う児童の育成を目指した国語科教育も大切にしていきたいと思っている。
(佐賀大学文化教育学部附属小学校)