書 く こ と が 楽 し い 2 年 生
森  邦 博

 2年生の生活科で子どもたちは、自分たちで計画した校外学習にでかけた。目的地は話し合いの結果2つになったそうである。一つは皇子が丘公園。あと一つは比良元気村。本校からは全くの正反対方向になる。
 子どもたちは、各自家から出発し、バスの停留所からJRの駅へ。目的の駅までの切符を各自で買い、電車に乗りこむ。先生やボランティアのお母さん方はその様子を見守るという役目である。事故にだけは十分気を付けての実践。
その校外学習出発前の計画段階での学習の様子を校内研究授業として提供してもらったのだった。
 子どもたちの様子はいろいろ。
 何とかなると、楽観的な子。一緒に行く誰かにたよっているこの子がどう変わるか?がおもしろそうだ。
 きちんと計算しなければ気の済まない子。「もし・・・だったらこまるから・・・」とグループの子に一生懸命主張する。

 そして当日。校外学習は事故もなく無事終わった。
 学級通信を見ると、担任のこんなコメントが目についた。
「子どもたちは行って帰ってきてから、いっぱい書くことがあるよ、と熱心に、しかもたくさん書きました。全文を載せられなかった人もありますが・・・」
 紹介されてある作文はどれも、その子なりの体験の振り返りぶりが書かれていて、ほほえましく読ませてもらった。どの子にもやったという自信と喜びがにじんでいる。書くことが体験を意味あるものにするように働いている。そこからこの学級では、国語科での作文学習が楽しい活動として定着していることが伺える。行って帰ってきたら書いて残す、書いたものを読み合うということが当たり前 で楽しい時間として。
 こんな風に国語科の学習が生きるといいなと思う。
高学年になると書くことをいやがる子どもが多くなるという。いやなことはしたくないのが人情だ。でも、体験を言葉で記録し、あるいは言葉で整理し直し、報告・説明することがあってこそ、体験はその子にとっての意味ある体験となっていくのであろう。
 従って書くことが楽しいと思えるように工夫することを大事にする低学年の指導を基盤にして、高学年では書くことの意味や価値を自覚していけるように指導の工夫をしていきたいものである。いやだからしないでよい、という論理(口実の方が適切か?)を乗り越える学習の意味づけ、価値の自覚を育てるようにしたい。
 高学年の国語の楽しさ・充実感を味わえるような国語科学習の工夫という課題を痛感するのである。
(大津市立仰木の里東小)