▼人は国語教育について「確かさ・豊かさ」をいうけれど、私は「新しさ」が課題だろうと思う、というような意味のことを、晩年、今井鑑三先生が竹の会のご講話でおっしゃったことを鮮やかに覚えている。板書の文字まで。刺激的であったが、意図されることは何だったかその答えを教えてもらえないままである。その後「新しさ」は私の好きな言葉の一つになっている。

▼「子どもを生かす授業は、教師だれもがいだく願いである。しかし、そういう授業は、なかなかお目にかかれない。それは、教師が、構えて、自分が引き回そうとする意図を、強くもっているからではなかろうか。指導の目標ははっきりしている。計画はきっちり立てられている。どんな手順でどこへ到達させるのかも見当がつけられている。ーーそれでいいではないか。立派な授業ではないか、といいたのだが。ーー」 遺稿集『子どもが生きているか』の序章はこんな書き出しで始まる。授業は今井鑑三先生にとって永遠の課題であった。先の文に続けて、「子どもを生かす授業は、子どもが生きている証しを表出するものである。気がねなく、率直に表すものである。」と位置づけ、「子どもは生かされているか」にこだわられる。

▼研究主題「新しい国語学習の創造」を掲げ、第27回国語研究集団合同研究会は、成果に実り多いものになった。新しい課題、新しい人材の誕生など、様々な新しさを生み出して。(吉永幸司)